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複雑な利害関係を読み解きながら、環境問題の具体的な解決方法を探る

名古屋大学 大学院環境学研究科 社会環境学専攻

丸山康司 研究室

お知らせ

太陽光パネルのリサイクル義務化が見送られました。埋め立て処分の方が安いということと、自動車や家電品と異なって太陽光だけメーカーに費用負担させるのか、説明が困難だということです。そんなに難易度が高い課題だとは思ってなかったのですが、法律の世界だとそうんるのかぁという印象です。一つは「安い」ことの考え方です。そもそもリサイクルした方が安いのであれば、そっちにまわるわけで、別に義務化を検討する必要はありません。「安い」埋め立て処分には隠れたコストがある可能性があります。資料を詳しく見てみないとわかりませんが、埋め立て地の造成費など税負担している部分を抜いて、ランニングコストだけを見れば「安い」、ということになっているのではないかと思います。算定根拠の精査が必要だと思います。もう一つ割と大きい問題として、ゴミ処理費用は誰が負担すべきなのかという責任の話があります。廃棄物処理は公衆衛生とか住民サービスとして始まっています。公共サービスなので財源は税金になるのですが、高度経済成長期以降、量的にも質的にもその考え方では追いつかない問題が発生しています。自動車とか家電とか包装容器とか、そのときそのときの課題に応じて個別の対策方法が導入されてきました。そういう取り組みとは別に、廃棄物の再定義とか費用負担の責任を再検討すべき時期に来ているような気がします。拡大製造物責任という考え方があって、ヨーロッパでは廃棄物政策を支える理念の一つになっています。この世に「モノ」を排出しているものは廃棄についても責任があるという考え方です。その背景には、生産する側に無限の経済の自由を認めてよいのかという問題意識があり、将来的なゴミの元でもある製品の生産者にも責任を負ってもらうという考え方です。包装容器の増加が問題になった1990年代に導入されました。実際には末端価格に転嫁されているのでメーカーの負担増にはなっていないのですが、無駄なパッケージや素材の単純化が進みました。この考え方が一般原則となっていれば、太陽光だけの話ではなくなってきます。実際のところ、日本でもすでに色々な形で消費者がゴミ処理費用やリサイクル費用を負担しています。大きな建前を作って構造的に問題解決するというのは日本の行政は苦手としているところですが、頑張りどころかもしれません。 ... See MoreSee Less