過去の巻頭言

 

 

2021/1/27

新年おめでとうございます。昨年は大変な年でしたが、オンラインの可能性が開けた年でもありました。遅ればせながら

ツイッターデビューを果たしました。ゼミはオンラインでも通常通りですが、講義はユーチューブ公開を動機づけにしました。

気鋭の仲間とともに「仕事と福祉研究会」を始動しました。旅行と懇親会がないのは味気ないですが、内外のオンラインセミナー

にも参加しています。新しい年が新たな社会への展望を開く一年になることを期待しながら研究を進めたいと思います。

 

2020/1/8

新年おめでとうございます。昨年は、冬に台湾の福祉国家百五十年史を書き、春にドーア先生の七十年にわたる研究の歩みを

振り返る報告をし、夏にILO百年史の序説を書き、秋に名古屋大学社会学研究室七十年史を編纂しました。ウェッブ夫妻は、

「無味乾燥な史料に繰り返し出現する個人的な野心と虚栄」を発見する楽しさを告白し、社会学ほど面白いスポーツやゲームが

他にあるだろうかと述べています。原稿催促には泣かされますが、確かにそのような三昧境を味わう機会がありました。

 

2019/11/8

名古屋大学社会学研究室が70周年を迎え、先日記念パーティーが催されました。初代教授の本田喜代治先生の着任から70年です。

元教授の折原浩先生が、「思想性をそなえた社会学の伝統を活かそう」というスピーチをして下さいました。国際ジャーナルへの

掲載本数を競う前に今なぜそのテーマを研究するのかを問え、という教えだと受け取りました。『研究室月報』第1号に掲載された

本田先生のエッセイ「そのもとに帰るべし」は、少なくとも思想性だけはそなえた社会学をしようと呼びかけています。

 

2019/1/1

新年おめでとうございます。石井隆庵を御存知ですか。名古屋大学の源流となった仮病院・仮学校の設立を建議した蘭方医です。

嘉永年間に名古屋で初めて種痘を実施したところ、漢方医は、牛痘を人に接種するのは人を獣とするに等しい所業であると難詰し、

隆庵を国賊と罵って殴打したそうです。それでも屈することなく種痘を続けた隆庵は、「勇気ある知識人」の原型と言えましょう。

国立大学では研究教育環境の悪化が進んでいますが、殴られても屈することなく研究教育を続けることができるでしょうか。

 

2018/1/10

新年おめでとうございます。昨年は八月に名古屋大学豊田講堂で第十四回東アジア社会政策会議を開催し、裏方として生涯最大級の

ボランティアを経験しました。それ以外は何もなかったような気がしていましたが、それでも指折り数えてみれば、マンチェスター、

クロンベルク、台北、台中、輪之内、ゴジカラ村、花巻、平泉、有備館、古川、飯田、菅浦、軽井沢などを訪ねた思い出が残りました。

清代中国の福祉について調べたり、能楽堂通いを始めたのも新しいことでした。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2017/7/8

823日に名古屋大学豊田講堂で東アジア社会政策会議(East Asian Social Policy Research Network Annual Conference

を開催します。テーマは「変わりゆく環境のなかの東アジア社会政策――比較・構想・未来」です。基調講演は無料公開します。

施世駿、落合恵美子、サラ・クック、広井良典の各氏による興味深い講演が予定されています。なお、基調講演以外の会議本体

聴講希望の方はこちらから参加登録をお願いします。充実した内容の114報告が予定されていますので、ぜひ御参加下さい。

 

2017/1/11

新年おめでとうございます。昨年は四半世紀に一度の歴史的転換点だったかもしれませんが、個人的には『福祉のアジア』に対して

アジア・太平洋賞特別賞という不相応に華やかな賞をいただいた年でした。今年は新しい仕事に乗り出す年にしたいものです。

以下は折々の小旅行で捻り出した駄句です。養老の翁桜よ酔ひて舞へ 春眠や三十九度の源泉の 淡墨に溶けゆく虹の静寂かな

山峡の湯に夏の日を見送りつ 神島に渡り損ねて河豚の宿 翠軒の碑なぞる秋日影 本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2016/10/5

拙著『福祉のアジア』に対して、アジア・太平洋賞特別賞(毎日新聞社・アジア調査会)という不相応に華やかな賞をいただける

ことになりました。賞をもらったからといって本の内容が改善されるわけではないにせよ、やはり有難いことに違いありません。

ところで、拙著の編集を担当して下さった橘宗吾氏の著書『学術書の編集者』は、編集論としてだけでなく大学論としても秀逸で

大学人必読の書だと思います。橘さんに名古屋大学の総長になって大学を改革してもらいたいなどと夢想しています。

 

2016/1/6

新年おめでとうございます。一年を振り返ると、最大の出来事は『福祉のアジア』を刊行できたこと。多くの方々から嬉しい感想を

いただきました。それから見田宗介先生の対談を聴いて初心に帰り、エスピン‐アンデルセン『三つの世界』二十五周年を記念して

報告もしました。香港とシンガポールでも報告しましたが、香港では反ユニクロ学生デモに偶然参加することになりました。友人に

誘われて見物した反安保デモもそうですが、新たな直接行動主義の徴候を感じます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2015/9/25

アジアと言えば、「経済のアジア」や「安全保障のアジア」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。私は『福祉のアジア』

を掲げることが今後の日本の東アジア政策の基本になるべきだと考えています。本書はそうした主張を内包しつつ、東アジアの福祉

の歴史と現在を国際比較の方法で描き出したものです。そのような眼で見ると、経済のアジアや安全保障のアジアの視点からは見え

なかった東アジアの別の側面が見えてきます。東アジアの未来に関心をもつすべての方に御高覧いただければ幸いです。

 

2015/1/1

新年おめでとうございます。一年を振り返って、研究も教育もやや惰性に流れたと反省しています。特に教育は、こちらは何度も

伝えているつもりでも相手は歳歳年年人同じからずで、ボーモルの法則が働いて生産性の向上は永遠に不可能なわけです。一方、

研究のほうは、牛の歩みでもシジフォスの岩運びとは違うようです。十数年分の仕事を著書にまとめ、今年中には『福祉のアジア』

と題して刊行できそうです(初版部数は『種の起源』を僅かに下回る程度です)。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2013/10/18

ハーバードでの夢のような一年間を経て職場に復帰しました。幸い故郷に変わりはないものの、浦島効果で白髪が増えた気がします。

いろいろ消化しきれていないことばかりですが、アメリカで考えたことを今後の研究と教育に少しずつ活かしていきたいと思います。

研究の目標は、東アジアの福祉国家と労働市場のあり方を他の大陸との比較のなかに位置づけて理解し、変革の糸口を探ることです。

教育の目標は、対話のなかで研究の面白さを伝え、自立した研究者を育てることです。要するにあまり変わり映えしません。

 

2012/8/28

20129月から一年間の予定で、ハーバード・イェンチン研究所に客員研究員として滞在します。イェンチンとは燕京=北京のことで、

弱冠22歳でアルミニウム製錬法を確立して大儲けしたチャールズ・ホール(18631914)の遺産により設立された研究所だそうです。

自分より百年も前の時代を生きた人の善意によって、毎年何十人かの研究者が雑事を忘れて研究に集中できるのは驚くべきことです。

与えられた貴重な時間を活かして仕事をまとめるとともに、得意の耳学問を積んで今後の研究の肥やしにしたいと思います。

 

2012/1/18

新年早々、林光氏(19312012)に続いて《淡彩抄》《さくら横ちょう》の作曲家別宮貞雄氏(19222012)も亡くなったそうです。

同時代人にはみすぼらしく見えたかもしれない戦後日本文化も、振り返ってみれば満開の夜桜のような妖艶さを湛えていたようです。

問題は次の世代がそこに価値を見いだすか。「伝統のなかに生きれば、人類数千年の時の流れに身をゆだねることができるが、伝統と

縁を切ればたかだか百年に満たないいのちの中に封じこめられることになる」(中村真一郎『全ての人は過ぎて行く』)。

 

2012/1/10

新年おめでとうございます。昨年は大変な年でしたが、個人的にはこれまでの人生を振り返る機会に恵まれました。七月には社会

への関心を引き出してくれた小学校時代の恩師の還暦を記念して同窓会を企画しました。十月には科学と批判の精神を教えてくれた

亡祖父の生誕百年を記念する講演会の裏方を務めました。一方、不惑を迎える前に人生後半戦へ向けた布石もいくつか打ちました。

とりわけISARC19に初参加して、今後の研究に向けたエネルギーを補給することができました。本年もよろしくお願いします。

 

2011/3/30

福島原発は米国の設計をコピーしたので、津波は想定外だったのだそうです。40年前の知的頽廃が現在の危機を生んだと言えます。

今回の津波は869年の貞観地震以来の規模だったそうですが、1200年に一度でも民族を存亡の危機にさらすような無責任な技術を

許容すべきではありません。とはいえ、全国の原子力発電所を今すぐ閉鎖すべきだと主張するのは現実的ではないかもしれません。

日本の原子力工学者は、既存技術に固執するのではなく、20年後の原発全廃に向けて代替技術の開発に取り組むべきです。

 

2011/3/22

未曾有の大災害に際して「私たちにできること」には、ボランティアや義捐金だけではなく、増税に賛成することも含まれます。

経済学者で同志社大学教授の林敏彦先生は「復興消費税」の導入を提案しています(日本経済新聞321日朝刊「経済教室」)。

先生の試算によると、今後5年間に必要となる公的資金は1314兆円、それを賄うには2.5%の消費税引き上げが必要だそうです。

先進国で最低の現行消費税率は、日本社会の連帯の希薄さの象徴です。復興消費税は、連帯再構築の第一歩だと考えます。

 

2011/1/5

新年おめでとうございます。小生いわゆるアラフォーとなり、公私にわたり人生と社会の圧力を感じることが多くなりました。

しかし、佐藤一斎は「学ハ立志ヨリ要ナルハ莫シ。而シテ立志モ亦タ之ヲ強フルニ非ズ。只ダ本心ノ好ム所ニ従フノミ」(学問は

志を立てることが肝要である。とはいえ、志を立てるのを強制することはできない。ただ本人が心から好む方向に進むほかはない)

と述べています。年頭にあたって志を新たにし、本心の好むところに従って研究に邁進したいと思います。本年もよろしく。

 

2010/6/29

最近、教養ある人の文章に、「対して」とか「結果」と書いてあるのを見て驚かされます。「…である。対して、これこれは…」とか

「…した。結果、こうなった」といった具合です。以前は、「これに対して」「その結果」「結果として」と書いていたはずです。

原因として考えられるのは、@著者に漢文の素養がない(対此)、A逆に現代中国語の影響(結果)、Bとにかく短いほうが便利、

などですが、日本語の標準が当方の美的感覚からずれていくのを見るのは辛いことです。年を取るとこうなるのでしょうか。

 

2010/3/26

昨日は卒業式でした。以下はパーティーでの挨拶。御卒業おめでとう。会社に就職する人は、会社に食べさせてもらっているなどと

思うべきではない。会社よりも自分が偉いと思え。会社を改革するつもりで就職してほしい。ホワイトの名著『組織のなかの人間』

には次のように書かれている。《個人は、組織に屈服することなく、組織から逃げるのでもなく、組織と戦わなければならない。》

皆さんは最も自主的に頭を働かせられるように教育された人たちである。ぜひ頭を働かせて会社と社会を改革して下さい。

 

2010/1/6

新年おめでとうございます。昨年は無愛想を座右の銘にしたはずが、例のごとく社交を楽しんでしまった一年でした。ところで、

名古屋大学初代総長の渋澤元治先生は、「以和為貴」(十七条憲法)と「進吾往也」(論語)の両語を校訓として遺しました。

前者は人とのつながりを大切にする教え、後者は自己の活動を重んじる教えです。今年は後者を心がけとして仕事に取り組みます。

「譬ヘバ地ヲ平スガ如シ。一簣ヲ覆スト雖モ、進ムハ吾ガ往ク也」。研究を前進させるのは自分の決断だという意味です。

 

2009/8/19

金大中元大統領の逝去に際し、韓国の研究仲間に哀悼の気持ちを伝えたいと思います。金元大統領は日本では金大中事件や南北融和策で

知られていますが、彼が偉いのは『生産的福祉への道』という社会学的洞察に満ちた著書に基づいて福祉国家の建設を進めたことです。

生産的福祉は民主主義の実質的完成と市場経済の持続的発展のために必要とされるが、後発の韓国ではその際、従来型福祉国家の建設と

第三の道への改革を同時に進めなくてはならないと主張したのでした。近時日本のマニフェストの類とは骨の太さが違います。

 

2009/7/24

書店で徳永康元『ブダペストの古本屋』(原著は1982年刊)の文庫版が出ているのを見つけて驚きました。徳永康元氏(19122003)は

祖母の従兄でハンガリー学者。何度か会ったことがありますが、60歳の年齢差も気にせずいつも後輩に接するように話してくれました。

もう一つ、戸田邦雄氏(19152003、作曲家・外交官)の『外交官の耳、作曲家の眼』2009年)も驚くべき本で、興味が尽きません。

いずれも端正な文章で同時代史の一断面を描き出していて、明治第三世代の人々特有の風格に無限の懐かしさを感じます。

 

2009/5/1

親しくお付き合いいただいている方々と、「社会政治研究会」(Social Politics Forum)を始めます。研究会の名前にはいろんな

意味が込められていますが、個人的には、社会学と政治学のあいだ、ないしは現代版Verein für Sozialpolitikをイメージしています。

1回は5717:30からです。報告は、田村哲樹さんの「ベーシック・インカム、自律、政治的実行可能性」と、大岡頼光さんの

「死生観と老人介護──スウェーデン高校生へのインタビュー調査から」です。御参加の方は事前に一報いただければ幸いです。

 

2009/1/1

新年おめでとうございます。新年の心がけとして、昨年白寿をもって長逝した物理学の伏見康治博士(名古屋大学名誉教授でもある)

の言葉を服膺したいと思います。創造的な研究をするには、一、受験心理を脱却し「知らない」と平気で言えるようになること、

二、興味がないかぎり無愛想になること、三、他人の論文を読む前にまず考えること、が重要だそうです。いろんなお誘いを

無愛想に断わって、本当にやりたい仕事にひきこもる一年にしたいものです。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2008/10/28

台湾で開かれるEASP会議を前に、儒教福祉国家論を言い負かしてやろうという不純な動機で『論語』を通読しました。そこで発見

「そのなすところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞかくさんや、人いずくんぞかくさんや。」

どんな人についても、その人の行為を観察し、行為の動機を解明し、背後にある信念をつきとめれば、必ず理解可能だという意味です。

これは2400年後にヴェーバーが考えたことと同じです。孔子は旧弊な家族主義者などではなく、意外にも近代的だったのです。

                                                  

2008/4/14

陽春の候、皆様にはお元気でお過ごしのことと存じます。さて、このたび名古屋大学大学院環境学研究科社会学講座に勤務することに

なりました。新たな気持ちで研究と教育に精励し、名古屋ブランドのオリジナルな成果を世界に発信できるよう微力を尽くす所存です。

法政大学社会学部に在職中は大変お世話になりました。法政時代に得た多くのきっかけをこれから発展させていきたいと考えています。

今後ともいっそうの御指導と御交誼をたまわりますようお願い申し上げます。まずは簡単ながら一言ごあいさつ申し上げます。

 

2008/1/1

新年おめでとうございます。鼠のように勤勉な一年にしたいものです。さて本年四月、これまで人生の半分近くを過ごした東京を離れ、

ふるさと名古屋に帰ることになりました。「帰りなんいざ」という心境です。と言っても陶淵明の場合とは全く違い、大学勤めを辞めて

晴耕雨読の暮らしができるような田園を所有しているわけではなく、世間との交際を絶って花鳥風月の世界に生きる覚悟もありません。

今後とも皆様の御厚誼を頼みに生きていく所存ですので、本年もどうぞよろしくお願いします(年賀状ファイルを御覧下さい)。

 

2007/8/28

夏休みの旅行として、戦争末期に祖父の研究室が疎開した信州切原村を訪ね、当時の様子を想像しました。昭和20312日の大空襲

を受け、名古屋帝国大学の渋澤元治総長は、戦時研究と基礎教育の継続を目的として研究室を単位とする疎開を決断。渋澤の自伝には、

本土決戦の場合には義勇隊を組織して国に殉じなければならぬ、大学本部との通信が途絶えた場合には時機に応じ独断専行すべきこと、

と書かれています。切原村役場で玉音放送を聞いた祖父が「原爆で助かった」と思ったのも、うなずけるような気がしました。

 

2007/7/1

原武史『滝山コミューン1974』(講談社、2007年)を一気に読了。著者が東久留米市立滝山第七小学校で受けた集団主義教育が主題。

旧ソ連の教育学者マカレンコに学んだ団塊世代の教師たちは、自由より平等、個人より集団を重んじる学級づくりをめざしたそうです。

10年後の名古屋の公立小学校で、もう少しマイルドではあれ同種の教育を経験した私にも、著者の孤独な抵抗が他人事とは思えません。

あの日のキャンドルサービスで感じた息苦しさが何に由来していたのか、著者みたいに社会学的に追究する執念はありませんが。

 

2007/5/6

けさの日経に詩人の中村稔氏が《丸の内界隈の変貌》と題してこう書いています。「建物は社会的な資産だが、また、私たちの時代の

しるしである。こうして私たちが生きてきた時代のしるしを次々に抹殺していくことを、私は許しがたく思っている」。まことに然り。

これから美しく老いんとする日本の景観を、団塊世代以下の勝手な趣味で破壊しないでほしい。憲法改正が必要と言うなら、バークの

原則を守って下さい。「補修を加えるにしても、なるべく精密にその建物の様式で行ないたい」(『フランス革命の省察』)。

 

2007/3/27

「和を以って貴しとなす」などと言うと「天皇に逆らうな」という非民主的な訓戒だと思いがちですが、社会関係資本や熟議民主主義

の大切さを説いた教えにも読めます。「和を大切にして、礼儀にもとらぬよう心がけるべきである。人はみな内輪の仲間で群れたがる

ものであり、本当に道理のわかった人は少ない。だから上司や親と喧嘩になったり、隣村の人と仲違いしたりする。しかし上下の人が

仲よくして穏やかに議論すれば、きっと筋の通った結論が得られる。そうすればどんな難事業も必ず実現できるはずである」。

 

2007/1/28

けさの日経の社説によると、小中学生の親のモラルが「崩壊」したそうです。日ごろ社会秩序の崩壊を憂えている保守的社会学者には

ショッキングなニュースですが、よく読むとその論拠は、児童生徒100人に1人が給食費を納めていないというデータ。そんなことなら

とうの昔にモラルなど崩壊していたはずです。時系列分析も都道府県比較による要因分析もなしに、崩壊などと言ってはいけません。

これが学生のレポートなら書き直しを命じます。崩壊とか格差社会とか言う前に、もっとまともな社会学を身につけて下さい。

 

2007/1/1

新年おめでとうございます。一昨年までは毛筆書きの年賀状を出すのを例としていましたが、昨年は忙しくて年賀状をさぼりました。

ところが最近、パトナムの社会関係資本論やグラノヴェターのネットワーク論を読むにおよんで、これではだめだと気づいたのです。

そこで今回は、一枚一枚書くのは諦めて、毛筆原稿を大量印刷することにしました。そういえば世の中はネット時代で、自宅の住所を

知らない人も増えました。学生から葉書の年賀状をもらうこともありません。社会関係資本減退の徴候でなければよいのですが。

 

2006/11/16

とある県立高校へ出前講義に行きました。立板に水の名講義をしたつもりが、聴衆の知的興奮を喚起するほどではありませんでした。

その帰り道、書店で大村はま先生の遺著『日本の教師に伝えたいこと』を見つけました。「いきいきとした教室、これは全部の先生の

悲しいほどの願いです」。大学教員の仕事は講義だけではないぞと思うものの、若き大塚久雄は法政大学の学生を退屈させないように

落語家の口調を研究したといいます。「何事かを加えて教室へ向かい、何事かを加えられて教室を出たいと思っています」。

 

2006/10/8

ロナルド・ドーア先生の新著『誰のための会社にするか』に佐藤一斎(17721859)の言葉が引用されているのを見てさすがと思い、

『言志四録』を買ってきてぱらぱらめくってみました。曰く、「今人おおむね口に多忙を説く。そのなすところをみるに、実事を整頓

するもの十に一二、閑事を料理するもの十に八九。また閑事を認めて以って実事となす。宜なり、その多忙なるや。志ある者、誤って

このを踏むことなかれ」。むむ、閑事にかかずらっていてはドーア先生みたいに次々と本は書けないのかもしれないと猛省。

 

2006/5/30

法政大学多摩キャンパスの山を下りて町田街道をしばらく西北へ行ったところに、詩人・八木重吉18981927)の生家があります。

仕事の合間に、その短く美しい生涯の遺品を飾った土蔵を見せてもらいました。わが職場はなんと、「ふるさとの山をむねにうつし/

ゆうぐれをたのしむ」と詩人が望郷の空に歌った山の上に建っています。「むさし野をおもう心切なり/夕日黄金のごとくこぼるる土/

そのひろきつちのしずけさ/かなたのすみこなたのはて/むさし野のはるかなるひろがりよ/胸なみうちてすべてはなつかし」。

 

2006/4/22

見田宗介『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)が出ました。死んだはずの友人に街でばったり出くわしたような

不思議な感覚にとらわれながら一気に読了。見田先生の講義を聞いた15年前の至福の時間が蘇ってきます。私の元来の性質は先生とは

だいぶ違うし、その後の歩みも見田社会学とは隔たっていますが、それでも私の社会学は先生の言葉たちによって点火されたのです。

こんなに論理一貫しつつ色彩豊かな講義をするのは私には至難ですが、私も社会学する志の〈初めの炎〉を保ちたいと思います。

 

2006/1/17

新年おめでとうございます。年末から台湾調査と締切をとうに過ぎた論文書きでなかなか年が明けず、年始の御挨拶が遅くなりました。

昨年は、3月にシンガポールと台湾へ調査に行き、7月に英国ケント大学で学会報告したほかは第二種兼業研究者として暮らしました。

あと一年で私の東アジア福祉国家論も10周年を迎えますので、このあたりで何とか形勢を立て直さなくてはと考えているところです。

今年こそは第一種兼業化をめざして奮闘努力する所存ですので、御協力ないし叱咤激励のほどをよろしくお願い申し上げます。

 

2005/8/22

夏休みらしく、大井川鉄道のSLに乗って少年時代の夢を実現してきました。ところが、あまり感激するほどでもありませんでした。

まわりではしゃいでいる小学生たちを眺めながら、加齢による感覚の鈍磨を恨めしく思いました。それから愛知万博にも行きました。

こちらは少年時代に観た筑波万博とほとんど同工異曲で、この20年間の世界の変化を考えると、じつに驚くべきことだと思いました。

ネットと格安航空券で世界が身近になった今日、何時間も行列して世界の表層を垣間見る方式は古びたと言わざるを得ません。

 

2005/1/3

新年おめでとうございます。一年を顧みると、三月には助手論文を捻り出す合間に初めて韓国に行きました。四月には法政大学社会学部

に着任し、福祉社会学の講義とゼミを始めました。その後、私も執筆した大沢真理編『アジア諸国の福祉戦略』が刊行されたり、研究会

で報告したりしましたが、どれも今一つでした。一方、学生諸君の若い脳髄に社会学的想像力を注入する仕事には興味を感じています。

今年は、教育活動から得た養分を研究に活かす回路を作ることを課題にしたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2004/12/4

幕末の儒者としては、安井息軒1799-1876)の右に出る者はないでしょう。西南戦争のとき熊本城を死守した谷干城は彼の門下生で、

自伝に息軒の塾の様子を記しています。塾生は20数名、先生が主宰する主ゼミ(表会)と学生が自主的に開くサブゼミ(内会)があり、

とりわけ内会では「議論縦横、往々強いて異説を主張する者」があったとのこと。息軒先生は学生が講義をただ聞いているのを好まず、

質問を歓迎し「古人未発の説を吐く」ことを奨励したそうです。ゼミ教育は、フンボルト理念の舶来以前からの伝統と言えます。

 

2004/4/6

多摩の山々の新芽を掠めて桜の花びらが流れてゆく季節となりました。皆様にはお元気でお過ごしのことと存じます。さて、このたび

法政大学社会学部に福祉社会学担当の専任講師として勤務することになりました。教えることによって学ぶ(docendo discimus.)と

言いますが、当分は教えるふりをしつつ学ぶことになりそうです。東京大学社会科学研究所助手の任期中には大変お世話になりました。

今後ともいっそうの御指導と御交誼をたまわりますようお願い申し上げます。まずは簡単ながら一言ごあいさつ申し上げます。

2003/6/17

警視庁が公表した東京都の「犯罪発生マップ」が話題になっているそうです。区長さんたちはマップを見て一喜一憂しているとのこと。

そこでちょちょいと統計分析してみたところ、侵入窃盗・ひったくり・乗物盗・車上ねらいなどの件数は区の人口にほぼ比例しており、

一方、置引き・万引き・粗暴犯などは大型小売店の集中する繁華な区ほど多く発生している、というごく当たり前の結論に達しました。

無論いくつか例外もあり、町丁別に見たら面白い発見もありそうですが、防犯対策を地道に進めることのほうが重要でしょう。

2003/5/27

国立大学法人法案が審議されていますが、平成164月の法人化前に国立大学をクビになる身としてはあまり切実に感じておりません。

ただ最近、明治16年に福澤諭吉が唱えた独法化案「学問の独立」を読んで、こんな話ならぜひ推進すべきだと思いました。福澤案では、

従来の官立学校を「共同私有私立学校」とし、巨額の公債証書を下付してその利子で毎年の経費を賄います。かくして大学は「いっさい

政府の干渉を許さずしてあたかも文権の本局」となり、学者は「日本国の学権を拡張して鋒を海外に争う」ようになるはずです。

2003/4/25

徳永康元氏(1912-2003、ハンガリー語学)のお別れの会でバルトークの献奏を聴きながら、異文化理解について思いめぐらしました。

氏は1940-42年のブダペスト大学留学時代、同じ学生寮で音楽アカデミーの研究生だった安益泰君と親しく、彼から師匠バルトークの

動静を聞かされていたそうです。密かに亡命を決意していたバルトークの告別演奏会も、学生寮の仲間たちと聴きに行ったとのこと。

その安益泰君は何と韓国の愛国歌の作曲者だそうで、聴いてみると実に格調高く、異文化理解の生半可でないことを感じます。

2003/2/7

今日、ついに法科大学院の建設工事が始まりました。正門右の本郷通り沿いの緑地帯が、ほんの数時間で更地になってしまいました。

心配していたとおり工事区域は紅梅と白梅の位置にかかっており、紅梅は隅のほうに移植され、白梅はどこかに行ってしまいました。

独法化対策で多忙を極める教授連からは、大学の精神を象徴する梅を守るべしなどという保守主義的景観論は出なかったのでしょう。

ちなみに東京大学は広域避難場所に指定されていますが、こんなに建物を建てておいて、いったいどこに避難するのでしょうか。

2003/1/7

新年おめでとうございます。昨年の日記を読み返すと、お正月にヴェーバーの官僚制論を読んで大いに研究心を刺激されたはずなのに、

3月には英国に旅行したり、非常勤で「社会計画論」の講義を始めたり、各種セミナーでおしゃべりを楽しんだり、社研リサーチ・

シリーズの校正をしたり、11月にはシンガポールに出張したりしているうちに、肝心なことは忘れたまま年末に至ったという感じです。

今さら流されやすい性格を嘆いても仕方ないので、今年は博論の方向へと流されるのだと諦めて、流されていきたいと思います。

2002/9/3

遅ればせながら夏休みと称して小旅行を企てました。《追分節》の故郷・信濃追分から沓掛宿を経て、草津街道を北へと向かいました。

道中しばしば《冬の旅》の詩人や作曲家と同世代の歌人・大隈言道の「今はわれいくさとざとか過つらむわかれかねたる心ながらに」

という歌がくりかえし心に浮かびました。《冬の旅》も《追分節》も旅別の歌。出会うこともなかった人や事物との別れを惜しみながら

先を急がねばならぬ旅、詩人たちはその旅にこそ人生を重ねあわせたのだということを想起しつつ、草津で一風呂浴びました。

2002/8/1

初めて東京国立博物館を観てきました。大英博物館ルーヴル美術館北京台北の故宮博物院などは、その国の文化的世界観を表現

していると言えますが、わが東京国立博物館の展示は、そうした文化に対する想像をかきたてる力に乏しいと感じました。その原因は、

@絵画・漆工・染織など骨董趣味の分類になっていて文脈がわかりにくい、A展示品が少なく、文物の豊かさで圧倒する迫力に欠ける、

などの点にありそうです。展示品を増やし、武家生活・仏教芸術・琉球文化といった文化意義に基づく分類に改めるべきです。

2002/2/28

3月3日から17日までイギリスのバース大学に行ってきます。バース大学では「開発の文脈における社会政策」と題して社会政策学者と

開発経済学者のグループが共同研究を進めています。これは近年、国連や世銀などで開発途上国や体制移行国の社会政策に対する関心が

高まっていることに対応しています。私も及ばずながら、そうした文脈に自分の研究をどう関連づけるべきか考えてみたいと思います。

その手はじめとして、生まれて初めて英語らしき言語で論文を書きました。コメントやアドヴァイスをいただければ幸いです。

2002/1/7

新年おめでとうございます。小生、十有五にして学に志したのはよかったのですが、少年老い易くして、池塘春草の夢を貪るうちに早や

而立の年を迎えるにいたりました。研究関心はますます拡散する一方、記憶力はいよいよ減退し、学成り難きことを痛感する日々です。

このうえはやや居直って、一、先輩知友の皆様との知的な交流を楽しみつつ、二、好き嫌いをはっきりさせて一番好きな仕事だけをやる

というふうに、人生の軌道修正を図ることを新年の課題にしたいと考えております。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2001/9/16

ニューヨークの事件ではほんの一握りの狂信者の悪意が全世界を「戦争」気分に陥れましたが、私たちはまさにリスク社会に住んでいる

のだと改めて思い知らされます。犯罪者の組織を見つけだして厳しく罰すべきことに何の疑問もありません。しかし、ウサーマ・ビン・

ラーディンの国際テロ組織とアフガニスタンのタリバン政権を混同して、まとめてやっつけるべしとの即断には大いに疑問があります。

アフガニスタンを標的にする前に、この地域の政治社会構造とその来歴に関する地域研究者の証言に耳を傾ける必要があります。

2001/8/8

3年がかりで翻訳を完成させた、スピッカー著『社会政策講義』(武川正吾先生・森川美絵さんと共訳。有斐閣)が刊行されました。

翻訳は、音楽の作曲に対する演奏のようなもので、@音程もでたらめなひどいもの(これがけっこう世の中に出回っている)もあれば、

A音程やリズムは合っていても楽曲の構造をふまえず意味不明なもの(理屈の筋が追えない)、B構造的であっても流麗ではないもの、

C構造的かつ流麗な名演奏、もあります。われわれの翻訳が、願わくはBのレヴェルに到達しているとよいのですが…。

2001/4/12

春風の心地よい季節となりました。皆様にはお元気でお過ごしのことと存じます。さて、このたび東京大学社会科学研究所に

助手(比較現代経済部門・任期3年)として勤務することになり、過日着任いたしました。与えられた貴重な機会を生かすべく

研究に精励する所存です。東京大学大学院在学中は格別の御厚情を賜り、誠にありがとうございました。

今後とも一層の御指導と御交誼を賜りますようお願い申し上げます。まずは簡単ながら御挨拶申し上げます。

2001/3/19

昨日までの2週間、台湾に滞在していました。台湾では、行政院衛生署(厚生省)、同・労工委員会(労働省)、同・経済建設委員会

(経済企画庁)、民進党と国民党の中央党部などを訪ね、最近の社会保障改革に関するインタビューと資料集めをしてきました。また、

林萬億・台湾大学教授をはじめ、多くの第一線の研究者から貴重な情報を得ることができました。しかし、段ボール2箱分の資料を

使いこなして論文にまとめられるかどうかは、ひとえに今後の中国語能力と時間配分能力の向上にかかっていると言えます。

2001/3/2

3月3日から18日まで、資料集めと中国語の練習をかねて台北に滞在します。今回の台湾行きでは、福祉国家論の第一人者で

現在はなんと民進党から台北県副県長(副知事)を務めている林萬億・台湾大学教授にインタビューしてくる予定です。

林教授は、不安定な政治経済状況から社会政策を後回しにしがちな陳総統に対して、福祉国家は経済発展と矛盾しないと説いています。

林教授の論説は英文でも読めます。Social welfare isn't a budget-buster》《Feeding the multitudes, not just a select few

2001/1/7

新年おめでとうございます。21世紀の到来とともに未来は百年延期され、我々は22世紀に向かって歩まなくてはならなくなりました。

このお正月に届いた年賀状のなかでいちばん驚いたのは、例の筑波万博の「ポストカプセル」に投函した13歳の自分からの葉書でした。

「今、何をしていますか。希望通りになりましたか。」と、理屈っぽく小生意気な少年に問われて一瞬たじろぎましたが、そうとも、

希望通りの方向に歩みつつあるし、心して歩むよりほかはない、と自答した次第です。本年もどうぞよろしくお願いします。

2000/10/12

近ごろ不平等論争というのが流行っていて私も一家言あるのですが、「中央公論」11月号では2人の高名な社会学者が論争しています。

社会観察者の言説が、観察対象である社会の自己認識をいかに変容させていくのか、興味ふかいところです。それに比べると影響力は

ゼロに近いのですが、シンクタンクのアルバイトで書いた私のレポートが参議院決算委員会の質問に引用されてびっくりしています。

厚生大臣には論旨を誤解され、労働大臣には受け流されるという結果で、明晰に書くことの大切さと難しさを痛感しました。

2000/4/8

牛津日記抄をアップしました。オックスフォードのおみやげ話です。

この時期に何をのんきに遊んでいるんだとお叱りを受けそうですが、これも比較社会学の一環ということで

お許しいただければ幸いです。イギリスは中国に比べると、常識をくつがえされるような刺激には乏しい感じでしたが、

それでも各国からの留学生と話すことができたのは貴重な経験でした。

2000/3/1

毎年3月になると国外逃亡の願望が強まるようで、今年は社会見学をかねてイギリスに英語を習いに行きます。

研究が進んでいないのに逃亡するのは後ろめたい気もしますが、昨年の北京行きで外国滞在の面白さがやみつきになりました。

オックスフォード北郊にあるSwan Schoolという学校に通います。オックスフォード大学の同業院生とも交流できればと企んでいます。

「ユーロスター」でパリに寄ってから4月4日に帰国する予定です。留守中はメールを読めませんので、よろしくお願いします。

2000/1/5

新年おめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。三月に北京に中国語を習いに行き、おおぜいの外国の友人を

つくったほかは、これといってぱっとしたことのない一年でしたが、いろいろな課題が見えてきた一年でもありました。

さて、世間では新しい千年紀の到来をにぎやかに祝っていますが、私にとっては今年は二〇世紀末の残務整理の年になりそうです。

今年中にこれからの研究の基礎をつくれるかどうかが私の二〇〇〇年問題です。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1999/11/7

久しぶりに大学図書館のホームページを訪れると、いつのまにか新システムができており、本の目次や紹介文まで検索できるように

なっていました。もう本の背を眺めてせかせか歩きまわる必要もないし、これなら卒論などわけなく書けるのでは(博論は別!)

と思ってしまいました。ところで数日前、T先輩から連絡があり、神保町の某古書店に『独逸社会政策思想史』が出てるから買いに行け

とのこと。さっそくBookTown神田サイトで検索しても出てきません。本との出会いには、まだまだ人間的要素も残るようです。

1999/10/3

「アジア・アート・フェスティバル」で、アジアの伝統音楽と現代音楽を聴いてきました。各国の作曲家が西洋音楽の様式で作曲する

のは当然として、日本の作曲家がミャンマーの竪琴に西洋音楽ふうの伴奏をつけるという全くナンセンスな試みもありました。一方、

純然たる伝統音楽でも、固有の音律を捨てて十二平均律に合わせている場合があります。そうしたなかで、沖縄民謡をインドネシアの

ガムラン音楽の様式で変奏した柴田南雄の《ガムランのためのエチュード》は、文化遭遇の実験としても興味ふかいものでした。

1999/8/23

この数日を夏休みと決め、東北を旅行してきました。昨日訪ねた遠野は『遠野物語』で有名ですが、同書は「平地人を戦慄せしめ」る

目的で収集された露骨な〈噂話〉であり、要点だけが文語で固定化されています。一方、遠野には柳田が書かなかった〈昔話〉も

たくさんあるようで、同じ話が語り手によってさまざまに変奏されていきます。今日は『奥の細道』に「道の果、塵土の境」と書かれた

塩釜から船に乗って松島にわたり、「そばだつものは天を指さし、ふすものは波にはらばふ」島々を終日眺めてきました。

1999/7/18

628日の「福祉国家形成史研究会」第0回は、さまざまな所属の福祉国家研究者が10名ばかり集まり、

おかげさまで初回としては大いに盛会となりました。次回「第1回」は、728()15:0018:00です。

二人の報告者の方にお願いして、台湾と韓国の福祉国家形成についてのオリジナル論文の発表と、

Esping-Andersenの比較福祉体制論の批判的検討を行ないます。参加御希望の方は御連絡下さい。

1999/6/20

「福祉国家形成史研究会」をはじめます。歴史的/比較的方法によって福祉国家の制度や言説を

とらえようとしている研究者が、福祉国家研究の多様な〈方法〉を学びあう場にしたいと思います。とりあえず、

Esping-Andersen, 1999, Social Foundations of Postindustrial Economies, Chapter 3, Social Risks and Welfare States

を手がかりにして、628()18:00より第0回を開催します。参加御希望の方は御連絡下さい。

1999/5/10

最近、社会政策の国際比較に関わるさまざまなデータや論文をネット上でダウンロードできることを知り、

圧倒されてしまうほどです。ハードディスクに第二のつんどくほんだなを形成しつつあります。

その一例を御紹介します。比較福祉国家データセット(LIS)・A Caring World──新しい社会政策の課題(OECD

社会保障改革論争──新たな合意を求めて(ISSA)・世界各国の社会保障制度1997(米国社会保障庁)

1999/4/9

北京日記抄をアップしました。中国のおみやげ話です。

おみやげ話をすると、つい楽しい話が多くなって、遊んでばかりいたと思われがちです。

また、おみやげ話をすると、珍しい経験を強調するあまり、中国を珍奇な国に仕立ててしまいがちです。

とにかく、おみやげ話をすると、話したいことがたくさんあって、つい時間がなくなってしまいがちです。

1999/4/2

きょう北京から帰ってきました。たのしい思い出とおそろしい思い出が半々、といったところです。

中国語のほうは、おしゃべりを楽しめるようにはなったものの、研究に使えるかどうかは疑問です。

とにかく、怠惰になった頭を刺激するという当初の目的は果たされました。

いずれ北京日記抄などもアップしたいと思っていますが、まずは帰還の御報告まで。

1999/2/24

2月26日から4月2日まで、北京語言文化大学に中国語(初級ですが)を習いに行ってきます。

初めての中国滞在は不安もありますが、怠惰になった頭を活性化するよい機会だと思っています。

ソシオロゴス投稿論文の書き直しやら、調査実習報告書の編集やらで、ちっとも準備ができていませんが、

行けば行ったで何とかなるでしょう。留守中はメールを読めませんので、よろしくお願いします。

1999/1/31

メールアドレスが変わりました。もとのor.jpne.jpになっただけです。知らずに過ごしていたのですが、

もとのアドレスは3月末で使えなくなるそうです。「社団法人日本ネットワークインフォメーションセンター」

の規則が変更されたからだそうですが、郵便番号が長くなったのと同じく、なんだか納得がいきません。

変更にかかる利用者のコストは、どのくらい考慮されたのでしょうか。名刺も刷りなおさなければなりません。

1999/1/7

新年おめでとうございます!

旧年中は大変お世話になりました。楽しく過ごした一年でしたが、種々の雑事に追われて、

論文投稿も教科書の翻訳も年を越してしまいました。今年はまずこれらの仕事を片づけてから、

研究を次の段階に進めたいと考えています。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1998/12/20

今日は「トライトーン」のコンサート "A capella holy night with TRY-TONE" を聴いてきました(TOKYOFMホール)。

ライヴで聴くとCDとはまた違って、じつに楽しく温かく、抱腹絶倒のコンサートでした。トライトーンに刺激されて

私も一瞬、合唱仲間とデビューしようかと思いましたが、すぐに、われわれには彼らのようなエンターテイナーとしての

能力が不足していることに気づきました。デビューまでの道のりは険しそうです。

1998/12/1

先週の連休は関西学院大学で日本社会学会がありました。多くの方々と知りあうことができて愉快でした。

また、思わぬ方から「ホームページを見たよ」と言われてびっくりしましたが、光栄なことです。

ところで、来たる127()の夜はお忙しいでしょうか? 私の参加している東京大学白ばら会合唱団

の定期演奏会があります。御来聴いただける方には切符を送らせていただきます。

1998/11/15

この週末は多くの先輩友人からおもしろい話を聞きました。大手メーカーの人事部で企業年金を担当するO先輩によれば、

税制適格年金で「確定給付」というのは必ずしも終身年金とは限らないのだそうです。そんなことふつうは知らないものです。

またHさんからは外資系銀行におけるリスク管理の話、T君からは戦前の政友会と民政党の経済政策の違いについて聞きました。

研究に直接役立つわけではないけれど、見聞の「聞」だけでも広がった気分になるのは楽しいことで、有難いことです。

1998/10/29

おそらく8年ぶりにプールで泳いできました。御殿下のプールを利用したのは初めてです。

きっかけは冬のズボンがすべてはけなくなっていたこと。やせなくては着るものがありません。

久しぶりの水泳で全身筋肉痛ですが、数百メートル泳いだという達成感があります。ビールもうまい!

……おっとそれでは当初の趣旨に反してしまいます。

1998/10/27

仙道作三氏の日暮里オペラ第三弾「太田道灌」の世界初演を観てきました(25日・日暮里サニーホール)。

仙道氏は『わがオペラの幕は上がる──集団就職から作曲家になるまで』(1996)という痛快な半生記の著者としても有名です。

重厚かつ親しみやすい作風なので、日暮里オペラから日本オペラ界のレパートリーになる日も近いでしょう。

 

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