①著者(編者)
②発行年(基本的に西暦を用いる)
③文献名
④文献の発行元・所収元
基本はこの4項目です。ただし、本の場合や雑誌論文の場合、論文集の中の1論文の場合、洋書の翻訳書の場合など、どのような文献をリストに載せるかによって表示すべき項目に若干の違いがあります。
各項目の間はコンマ(,)で区切ります。スペースやピリオドで区切る場合もあります。で、ひとつの文献を書き終えた後には必ずピリオド(.)をつけます。
また、4項目の表示の順番や、項目を何で区切るかなどについては、出版社や雑誌編集者によって若干の違いがありますので、詳しく調べたい人は、以下の雑誌の執筆要領を参照して下さい(いずれの雑誌も研究室にあります)。
『家族社会学研究』:
日本の学会誌の執筆要領の中では、一番体系的である。
American Journal of Sociology(A.J.S.と略記される):
日本の社会学の学会誌は、これに準拠して執筆要領を作成している場合が多い。
American Sociological Review(A.S.R.と略記される):
アメリカ社会学会の学会誌で、A.J.S.とならぶ権威ある雑誌である。
British Journal of Sociology(B.J.S.と略記される):
こちらはイギリスの学会誌である。
Kolner Zeitschrift fur Soziologie und Sozialpsychologie:
ドイツの学会誌の場合は、これに準拠することが多い。
Cahiers Internationaux de Sociologie:
フランスの学会誌に準拠したい場合は、多分これでしょう。
最後に、文献の情報は、和書の場合は奥付け(洋書の場合は前付け)にある、タイトル、出版年を参考にします。表紙や背表紙でも文献のタイトルはわかりますが、一番正確な情報は奥付けや前付けにあるので、ここを参照するようにしましょう。
a.単著の本の場合
姓, 名, 出版年, タイトル:サブタイトル, 出版社所在地:出版社名.
記載の順番は、姓のアルファベット順です。
著者の部分について詳しく言うと、たとえばマートンの場合、 Merton, Robert K.,と書きます(下線部が例の部分)。Kはミドルネームで、そ後のピリオドは省略記号のピリオドです。ウェーバーのようにミドルネームがない場合は、 Weber, Max,となります。それから、姓と名との間にはコンマが必要ですが、名とミドルネームの間にはコンマは必要ありません。
タイトルはイタリック体で書くか、アンダーラインを引きます。またサブタイトルがある場合は、コロン(:)で区切ってサブタイトルを書きます。
出版社名については、正式にはその所在地名も明記します(最近は出版社名しか明記しない場合もある)。
最後はピリオドで締めます。
《例》
Castells, Manuel, 1983, The City and the Grassroots, Berkeley:University of California Press.
Fischer, Claude S., 1982, To Dwell Among Friends : Personal Networks in Town and City, Chicago:U. of Chicago P..
→コメント:大学の出版局は、大抵は University of Nagoya Pressと表記されるが、これをいちいち書いていると面倒なので、U. of Nagoya P.と記すことが多い。この場合のピリオドは省略記号なので、最後にもうひとつ、文献の区切りのピリオドが必要になります。
Oberschall, Anthony, 1993, Social Movements, New Brunswick, New Jersey:Transaction Books.
→コメント:New Brunswickのようなあまり有名でない場所に出版社がある場合は、コンマでいったん区切り、州名(N.J.など略号でもよい)を書いておきます。
Urry, John, 1995, Consuming Places, London:Routledge.
→コメント:Routledgeという出版社の所在地はLondon and New Yorkとなっています。このような場合は奥付(といっても洋書の場合、奥付けの情報が奥についているのではなく中表紙の次に来るの)のFirst Publishedがどちらになっているかで確認します。
b.単著の雑誌論文の場合
姓, 名, 出版年, “タイトル:サブタイトル”, 所収雑誌名, 号数:ページ数.
基本は、単著の本の場合と同じですが、雑誌論文の場合は、出版社名の代わりに雑誌名と号数を書きます。その雑誌の出版社名を明記する場合もあります。
雑誌名は、書名と同様にイタリック体で書くか、アンダーラインを引きます。
A.J.S.やA.S.R.のような有名な雑誌の場合、略号を用いてもかまいません。
雑誌によっては、何巻の何号で通巻何号という数え方をするものもあります。その場合は、巻数を号数をハイフンで結んで書きます。
《例》
Abbott, Andrew, 1995, “Things of Boundaries”, Social Research, 62-4:857-882.
Edwards, Mark E., 1996, “Pregnancy Discrimination Litigation : Legal Erosion of Capitalist Ideology Under Epual Employment Opportunity Law”, Social Force, 75-1:247-268.
→コメント:本と同じく、サブタイトルはコロンでつなぐ。
Chabot, Russell R., 1995, “Gazing at Symbolic Interactionists : A Photo Essay”, Studies in Symbolic Interaction, 19:3-33.
→コメント:これは年報なので、一見本にみえるが雑誌論文扱いとなる。
Turner, Ralpf H., 1969a, “The theme of Comtemporary Social Movements”, British Journal of Sociology, 20-4:390-405.
Turner, Ralpf H., 1969b, “The Public Perception of Protest”, A.S.R., 34-6:815-831.
→コメント:同じ著者が書いた同じ発行年の違う本や論文を引用する場合は、発行年の後ろにa,b,を付けて区別する。
c.単著で論文集に掲載された論文の場合
姓, 名, 出版年, “タイトル:サブタイトル”, 編者名, 所収書名, 出版社所在地:出版社名, ページ数.
ある本にいくつかの論文が集めてある本を論文集といいます。ここに所収された論文を引用する場合は、論文集の情報だけでなく、論文の情報まで記載しなければなりません。
おおよそは、雑誌論文と同じです。
《例》
Melucci, Alberto, 1994, “A Strange Kind of Newness : What’s “New” in New Social Movements?”, Larana, Enrique, Hank Johnston and Joseph R. Gusfield edited, New Social Movement : From Ideology to Identity, Philadelphia:Temple University Press, 101-130.
Rosenthal, Leslie, 1991, “Unemployment Incidence Following Redundancy:the Value of Longitudinal Approaches”, Dex, Shirley edited, Life and Work History Analyses, London:Routledge, 187-213.
d.2人以上で共著の場合
著書にせよ論文にせよ、共著の場合、2人ならandで著者の名前をつなぎます。3人以上は、コンマでつなぎ、最後の著者だけandでつなぎます。著者名の表記は、2人目以降は、例えばブラウだと、Peter M. Blau,と、名、ミドルネーム、姓の順で書くので注意すること。
《例》
Berg, Peter, Eileen Appelbaum, Thomas Bailey and Arne L. Kalleberg, 1996, “The Performance Effect of Modular Production in the Apparel Industry”, Industrial Relations, 35-3:356-373.
→コメント:これは雑誌論文の場合
Mayer, Margit & Poland Roth, 1995, “New Social Movements and the Transformation to Post-Fordist Society”, Darnovsky, Marcy, Barbara Epstein and Richard Flacks edited, Cultural Politics and Social Movements, Philadelphia:Temple University Press, 299-319.
→コメント:複数の編者による論文集所収の共著論文の表記はこんなに長くなる。著者名は、andではなく&でつないだ。
Park, Robert E. and Ernest W. Burgess, 1921, Introduction to the Science of Sociology, Chicago:U. of Chicago P..
→コメント:これは本の場合
a.本の場合
著者名, 出版年, 『タイトル?サブタイトル?』, 出版社名.
邦文の文献も、著者名のアルファベット順で記載します。
著者名は、普段どおりに姓名の順で書きます。
タイトルは二重鍵括弧でくくります。またサブタイトルがある場合は、タイトルの後ろにダッシュ(?)でくくって書きます(日本語ワープロではダッシュが出ないことが多いため、ハイフンをふたつ繋いで代用することが多い)。最近は、サブタイトルの後ろのダッシュを省略するという傾向にありますが、今のところは、後ろのダッシュをつけるかつけないかは、好みの問題です。
著者が2人以上の場合は、中黒(・)で繋ぎます。
《例》
長谷川公一, 1996, 『脱原子力社会の選択?新エネルギー革命の時代?』, 新曜社.
今井賢一・金子郁容, 1988, 『ネットワーク社会論』, 岩波書店.
→コメント:著者が複数名の場合はこうなる。
奥田道大, 1993, 『都市と地域の文脈を求めて?21世紀システムとしての都市社会学』, 有信堂.
→コメント:サブタイトルの後ろのダッシュがない場合。この場合、行ずれをおこさずにすむ。
栃内良, 1993, 『女子高生文化の研究?時代を先取りする彼女達の感性をどうキャッチするか』, ごま書房.
→コメント:本のキャッチコピーと思っていたらサブタイトルだったなんてこともある。このような場合があるので、奥付けでタイトルを確認しなくてはならなくなる。
b.雑誌論文、論文集に掲載された論文の場合
雑誌論文の場合:
著者名, 発行年, 「タイトル?サブタイトル?」, 『所収雑誌名』, 号数:ページ数.
論文集に掲載された論文の場合:
著者名, 発行年, 「タイトル?サブタイトル?」, 編者名, 『所収書名』, ページ数.
論文には、雑誌掲載のものと論文集のような本に所収されるものがありますが、どちらの場合も、まずその論文の情報を記載した後、所収された雑誌あるいは本の書誌情報を記載します。
科研費報告書の類もこれに準じます。
《例》
阿部耕也, 1997,「会話における〈子ども〉の観察可能性について」, 『社会学評論』, 47-4:445-460.
長谷川公一, 1991, 「地方拠点都市における反原子力運動の運動過程」, 『都市計画と都市社会運動の総合的研究(平成元年度科学研究費補助金研究成果報告書[課題番号63301026])』, 7-47.
町村敬志, 1981, 「都市社会の全体性と社会学的知識の役割」, 『ソシオロゴス』, 5:122-133.
野沢慎司, 1992, 「インナーエリアとコミュニティの変容」, 高橋勇悦編, 『大都市社会 のリストラクチャリング?東京のインナーシティ問題?』, 日本評論社, 125-152.
a.本の場合
原典の書誌情報(欧文編を参照).=訳者名, 出版年, 『タイトル?サブタイトル?』, 出版社名.
原典の書誌情報は、普通は訳書の最初の部分に記載されています。また、訳者の解説の部分に書誌情報を書いている場合もあります。ただし、ごくまれに不十分な書誌情報しか記載されていない場合があります。その場合は図書館などで原典の書誌情報を探すしかありません。
基本的には、原典の書誌情報と和訳の書誌情報とをイコール(=)でつなぎます。和訳の書誌情報を括弧でくくり、イコールを使用しない場合もあります。
和訳の書誌情報には、著者名の代わりに訳者名を記載します。
《例》
Durkheim, Emile, 1960, Le suicide : etude de sociologie, Paris:Presses Universitaires de France.=宮島喬訳, 1985, 『自殺論』, 中央公論社.
→コメント:和訳の底本が、1960年出版の版を使用しているということなので、ここでは原典の出版年は1960年としておく。
Fischer, Claude S., 1984, The Urban Experience(Second Edition), Orlando, FL:Harcourt Brace Jovanovich.=松本康・前田尚子訳, 1996, 『都市的体験?都市生活の社会心理学?』, 未来社.
Fromm, Erich, 1941, Escape from Freedom, N.Y.:Reinehart and Winston.=日高六郎訳, 1951, 『自由からの逃走』, 東京創元社.
Piore, Michael J. & Charles F. Sabel, 1984, The Second Industrial Divide : Possibilities for Prosperity, N.Y.:Basic Books.=山之内靖・永易浩一・石田あつみ訳, 1993, 『第二の産業分水嶺』, 筑摩書房.
b.雑誌論文の場合
原典の書誌情報(欧文編を参照).=訳者名, 発行年, 「タイトル?サブタイトル?」, 所収雑誌名, 号数:ページ数.
もしくは.
原典の書誌情報(欧文編を参照).=訳者名, 出版年, 「タイトル?サブタイトル?」, 所収書の編者名, 『所収書名』, ページ数, 出版社名.
欧文の論文の和訳がなされる場合、それが雑誌に掲載されることはあまりありません。むしろ、いくつかの論文の和訳を集めた論文集に掲載されることの方が多いです。
《例》
McCarthy, John M. & Mayer N. Zald, 1977, “Resource Mobilization and Social Movements:A Partial Theory”, A.J.S., 82-6:1212-1241.=片桐新自訳, 1989, 「社会運動の合理的理論」, 塩原勉編, 『資源動員と組織戦略?運動論の新パラダイム』, 新曜社, 21-58.
→コメント:これは、社会運動論の有名な論文の和訳を集めた本の中にある論文を文献表に載せる場合の例。原典は、雑誌に掲載された論文である。
Young, Iris M., 1989, “Polity and Group Difference : A Critique of the Ideal of Universal Citizenship”, Beiner, Ronald ed., 1995, Theorizing Citizenship, Albany:State University of New York Press, 175-207.=施光恒訳, 1996, 「政治体と集団の差異?普遍的シティズンシップの理念に対する批判?」, 『思想』, 867:97-128.
→コメント:こちらは、和訳が雑誌に掲載された場合の例。ちなみにAlbanyは、NY州の州都です。
卒業論文の提出期限は絶対だ。1分1秒たりとも待ってはくれない。名古屋港にゴジラが上陸したぐらいの大事件でも起こらない限りは、どんな理由であろうと言い訳にしかならない。しかし、卒業論文の執筆には様々なトラブルがつきものだったりします。そのようなトラブルを以下に回避するか、それも卒業論文執筆に必要な作業のひとつなのです。
1.ワープロ技術編
2.物資調達編
3.提出間際の時間との闘い編
ひと昔前までは、ほとんどの卒業論文は手書きでしたが、最近はほぼ全員、ワープロやパソコンを使用して執筆するようになりました。そこで生じて来るのが、このワープロやパソコンにかかわるトラブルです。ここでは、そのようなワープロやパソコンをめぐるトラブルとその予防法、対処法をお教えします。
a.フロッピーに入れておいた文章がなくなっている!
これが最もよく生じるトラブルです。このトラブルが生じる原因にはいくつかあります。が、これまで社会学研究室では次のような原因によるトラブルがありました。
①別々の文章を同じファイル名で保存したために、片方の文章が消えてしまった。
②フロッピーディスク(FD)の扱いが荒いため、ディスクが破損した。
③保存の際にパスワードを設定し、そのパスワードを忘れてしまい、読み出せなくなった。
このうち、最も頻発するのが①です。このトラブルが生じたとき、大切なのは慌てないこと。最近のワープロは、文章のバックアップをとるように設定されていることが多いです。だから、慌てずに、バックアップファイルを探しだし、それを別名で保存すれば、一度は消えた文章を生き返らすことが出来ます。ただし、これは、そもそもファイル名を別々にしていれば回避できるトラブルです。
次に、②ですが、これはトラブルが起きてしまうとどうしようもない。だから、普段からトラブル予防を行うことが大切です。FDは必ずケースに入れて持ち運ぶ。FDは磁気に弱いため、防磁ケースがより望ましいです。使っていないFDは必ずケースに入れる癖をつけておくことをおすすめします。FDのおきっぱなしは危険ですからやめましょう。また、複数のFDを準備し、バックアップを作っておけば、いざFDが壊れた時にも、もう1枚のFDに残ったファイルから文章を生き返らすことが出来ます。
それから、③ですが、数年前に某氏がやりました。結局、泣く泣く最初から打ち直したとか。このトラブルを回避するためには、パスワード設定をしないということに尽きます。そういうと「卒論が盗まれたらどうする」という人が出てきそうですが、そういう人は卒業論文が盗まれる心配をする前に、盗まれるほど立派な論文を書く努力をしてください。
b.漢字が出てこない!
ワープロは文章を書くための機械とはいえ、すべての文字を知っているとは限りません。中には出てこない漢字もあります。もちろんその漢字を教えれば憶えますが(外字登録という)、ワープロに漢字を憶えさせるのは結構手間がかかります。卒業論文を書きはじめる頃には、そんな暇は多分ないでしょう。このような場合、とりあえずその文字の部分を空白にしておいて、最後に手書きで書き込む。それしかありません。
c.執筆中に機械が壊れた!
よくあるのが、提出間際にワープロのプリンタが壊れたというトラブルです。この場合、FDが生き残っていれば、文章は別の機械で読み出すことが出来ます。だから、自分が使用する機械と同じ機械をもっている人が誰であるかを確認しておきましょう。また、MS-DOSフォーマットのFDにも文章を保存しておけば、社会学研究室のパソコンを使用して作業をすることが出来ます。そして、壊れた時に、同じ機械を購入することが必要になる場合もあります。それなりのお金を準備しておきましょう。
論文を書くための物資も重要だ。予備の物資を含めて、必要なときに必要なものが手元にあるという状態にしておきたい。
a.お金
別に買収しようというわけではない。卒論執筆にはそれなりに金がかかるものである。書籍代、調査費用、コピー代などなどはすべて自腹である。しかもアルバイトなどに費やせる時間は少なくなる。だから、前もってある程度のお金を銀行などに準備しておくべきである。
b.黒表紙
卒業論文の表紙になる。年があける前に買っておきたい。売り切れで表紙が手に入らず、1人だけみんなと違う表紙というのは、情けないものがある(そういえば、集団で表紙がないと騒いでいたこともあった)。
c.インクリボン・インクカートリッジ・トナーカートリッジ
プリンタにあったものを買っておく。卒業論文執筆の際は、何度も打出しを行うので、予備も準備しておきたい。また、提出用の卒業論文は鮮明な印刷にすべきである。いくら内容勝負とはいえ、見た目も重要だから、提出用の論文は新しいインクやトナーを使おう。
d.FDと紙
ワープロを使用する場合、FDは数枚使用して、バックアップを心がける。また、プリントアウトに用いる紙も消費量が結構多いので、大量に準備しておく。普段、感熱紙を使っている人は、早い目にPPC用紙を買っておこう。感熱紙での提出は出来ないし、感熱紙で打ち出してコピーをとろうとしても、最後にコピーの時間が残されているとは限らないのだから。
論文は、時間をかけるほど出来がよくなる。しかし、就職活動などに追われ、気がつくと時間がないということが多い。そうでなくとも、締切があるので、限られた時間内で論文を仕上げることが要求される。つまり、卒業論文は、最後は時間との戦いである。
a.書いたけれども自信がない
書くには書いたが自信がない、これでいいのだろうか、そう思ったら、遠慮なく研究室に来よう。先生でも大学院生でもいい。書いたものを読んでもらおう。書いたものに対して、いろんな意見を言ってくれるだろう。ただし、書いたものがなければ、意見の言いよいがない。また、提出直前に意見を求めても手遅れである(手直しの時間はない)。
b.わぁ、朝だ! 提出だ! どうしよう!
何度も言っているように、提出期限に1秒たりとも遅れた卒業論文は受理されない。しかし、ぎりぎりまで論文を執筆している人がほとんどだろう。そうなってくると、時間を逆算しながら、執筆、プリントアウト、コピー、綴じを行わなくてはならない。プリントアウトは、意外と時間がかかるので、出来た章から順次プリントアウトしておくのが望ましい。自宅や下宿を出てから大学の教務掛にたどり着くまでの時間も、余裕を見ておく必要がある。電車の遅れや道路の渋滞が命取りになることもある。いずれにせよ、余裕をもった行動が必要だ。そのためには、何事も早めに行う。それに尽きるのではないのだろうか。
まず当然のことながら、卒業論文は卒業に際して求められる「論文」であって、それ以外の文章とは次元の異なるものである。質的にも量的にも学生の諸君にとって、初めて経験する作品となることだろう。本研究室では最低で400字詰原稿用紙100枚分の論文が求められているが、一つのテーマでこれだけの文章を書くのは決して簡単なことではない。しかし、問題意識をもって真剣に取り組んだ4年生たちの多くが、規定枚数をはるかに超える論文を仕上げており、その中には良質の作品も少なからず見受けられる。社会学という学問にたいする手応えをここで初めて実感する人も多い。後に続く諸君の努力と活躍に期待したい。
論文を書く際には、何よりも最初に問題意識とテーマを明確にしておくことが必要になる。2年生からの学習を通じて、すでに興味のある分野、得意な分野も明確になり、関連知識もある程度身についているはずである。好きな分野、知識のある分野でなければやる気も湧いてこない。ここをまず足がかりにして、テーマの輪郭を絞りこんでゆかなくてはならない。テーマの大枠が決まっていても、それだけでは論文の題目にはならない。そのテーマのなかで社会学として問題となしうることを、自分の関心とすりあわせて、取っ掛かりとなる地点をみつけなくてはならない。この戦略的ポイントをみつけるためにも、その分野に関するある程度の勉強と知識が必要なのである。
たとえば階層論に興味をもってホワイトカラーをテーマに論文を書きたいというところまで絞っていても、それだけでは論文にならない。昇進構造を問題にするのか、地域での交友関係をとりあげるのか、時期と地域を限定して階層形成史をやるのかなど、取り扱う対象をさらに絞りこまなくてはならない。理論的にも複数の立場があるので、どのようなスタンスをとるのかについて明確にしておかなくてはならない。常識がうっかり見逃していて、背後に何かおもしろい事がありそうな論点をうまく発見できればしめたものである。壮大なテーマを設定してしまうと後で苦しくなってしまう。一見面白そうな題材にみえても、社会学の対象として取り扱うのが難しい場合もある。また勉強不足から、あまりにも常識的なこと、すでに言われていることをしたり顔で繰り返すことにならないように注意したい。
適切なテーマが設定できれば、主題となる仮説がおぼろげながらもみえていることが多い。次にやるべきことは、この仮説が示している事柄に即して文献資料を集め、調査をおこない、これらを吟味し仮説と突き合わせて検討してみることである。その結果最初の仮定が誤りであることが分かれば、新たな仮説を立てなくてはならなくなるし、場合によっては論文の構成を大きく変えることが必要になるかもしれない。このようなプロセスを十分におこなうことによって当初の思いこみが修正され、文章が次第に論文らしくなってくるのだが、言うは易く行うのは難しい。例年の論文をみると、就職活動に時間をとられるためか、資料の収集と吟味が十分でない例が多い。文献・資料は読む以前に収集する段階ですでにかなりの時間を必要とする。せめて文献リストが複数ページにおよび、欧文の文献資料も参考にしたうえで論文を作成してほしいものである。なお、文献や資料を論文に利用するときには、きちんと注をつけ、典拠を示さなくてはならない。他人の業績の引用と自分の主張との区別が明確でなくなっているケースも時折みられるが、こうしたことは非常に恥ずかしいことと自覚してほしい。
学部の卒業論文では、アンケート調査を実施して分析することは困難であるかもしれない。しかし当事者に直接会ってのインタビューや資料収集などを実施することは比較的容易にできる。現実を対象として取り上げている場合、やはりこうした材料が入っているのといないのとでは、論文としての厚みが一段違ってくる。労力がかかり心理的な抵抗もあって大変であるかもしれないが、ぜひ積極的にアプローチしてほしい。
時間的制約やスケジュールにも十分注意してほしい。4年生にとっては就職活動が緊急の問題となるため、大学の授業も出席が困難になり、ましてや卒論どころではないという状況になるかもしれない。しかし、就職を決めてから準備や作業にかかっていると、やはり時間が足りなくなり、出来栄えに影響が出てくる。例年、もう少し時間をかけていれば良い作品になったと思われるケースが多いので、早めに準備を始めることをお勧めする。幸い、97年度からは、就職活動の開始時期がさらに前倒しされたため、むしろ早めに決着がついて時間的余裕ができる人が多くなるだろう。
ひとりで取り組んでいて行き詰まったら、教官や先輩の院生にも遠慮なく相談すると、いろいろとアドバイスを受けられる。ただし、社会学の論文の場合は、本人の問題関心と価値観が構成上とくに重要な役割をはたすので、手取り足取り一から十まで指導してもらうことを期待してはいけない。あまり教えてもらっていると本人の作品としての意味がどこかで消えてしまう。アドバイスを受けても、そのまま言いなりになるのでなく、有益な情報を取捨選択するだけの主体性が必要である。読書室にある過去の卒業生の作品をみるのも参考になるが、形式が整っていないものが多いので注意すること。卒論では、学問的に水準が高い独創的な素晴らしい作品というのは実際にはなかなか難しいかもしれない。しかし、個性的で読んで面白い作品が毎年いくつか提出されていて、これらは、ほぼ例外なく書いた人が真摯に取り組み、自分の個性や関心を反映したケースである。反対に、手を抜いたり問題意識が不明確であったりすると、これも一目瞭然に分かってしまう。まさしく、「文は人なり」なのである。
卒論は、学生生活の最後に待ち構えている大仕事であり、見方によってはやっかいな障害でもあるが、しかし逆に一度しか取り組むことができないチャンスでもある。悔いの残らないように頑張っていただきたい。
②要旨(abstract):
卒業論文の冒頭部には、要約をつけます。これは、他の閲覧者のためであるばかりでなく、執筆者本人に、論文の構成を自覚させる効果が期待できるからです。最初に論文のねらいや中心的な仮説を簡単に述べ、続いて各章ごとの内容を順次簡潔に要約してまとめてください。字数はとくに定められていませんが、原稿用紙で2~4枚ぐらいでまとめ、卒論の1ページ内でおさまるようにして下さい。
③目次:
本文の構成、注釈(註、最近は注と書くことの方が多い)、資料、文献表など論文全体の構成、及びそのページを明記します。また、本文中に図や表を組み込んでいる場合は、その目次も別途作成します。つまり、目次を見れば、何ページに何が書かれているのかが一目瞭然になっていなければなりません。
④本文:
本文は、序論、本論、結論の3部分に分かれます。うち、本論はさらに、いくつかの章や節に分かれます。当然ながら、本文からは各ページにページ数をつけます。また、章が換わる場合は、改ページをします。節が換わるときは改ページする必要はありません。
序論:分量の目安は論文全体の5~10%ぐらいで、おおよそ以下のことを書きます。
a. 論文で取り上げようとする主題あるいは問題の提起
b. その問題を取り上げる動機
c. その問題の重要性や取り上げる意義
d. その問題の背景
e. その問題を考察するにあたって用いる手段
f. 本論の大まかな流れ
本論:議論の主内容を展開する部分で、いくつかの章に分かれる。
結論:序論で提起した問題に答え、今後に残された課題等についても触れておく。
⑤注釈リスト:
(この章の3.注釈のつけ方を参照)。
⑥資料:
付録ともいいます。注釈としては長すぎるものや、議論と関係はあるが、直接引用するには適さない文章(行政資料や条文)などは、資料としてここに収めます。
⑦文献表(第4章を参照):
ページを改めて、論文の最後に来るリストが文献表です。枚数の少ない雑誌論文などでは、注釈リストのあと、一行あけて文献表がきます。しかし、枚数の多い論文の場合は、ページを改めて文献表を掲載します。卒業論文の場合は改ページした方が無難でしょう。 文献表は、議論の出典を明らかするためのものです。また、同じテーマに関心を持つ人にとっては、文献探しの参考となるものでもあります。だから、文献表に記載する文献の量が多ければいいってもんじゃない。
※ 文献表には、本文中で引用した文献、もしくは参照指示を出した文献、先行研究など議論の参考とした文献、などだけを記載する。全く関係ない文献を記載しないように!
《例》
[青井,1974,p.157]
→コメント:日本語以外は半角で、ページ数は小文字p後にピリオド。
[青井,1974,pp.157-178]
→コメント:複数ページに渡る場合は、pp.xxx-yyyと表す。
[Alexander,1987=1997]
→コメント:訳書から引用する場合は、原典の発行年=訳書の発行年という形式で示す。
[Cohen and Arato,1981] [奥田・広田,1982]
→コメント:共著論文の場合は、洋書の場合はand、和書の場合は・(中黒)で二人の著者名をつなぎます。最近の洋書ではandでなく、/(スラッシュ)でつなぐ傾向にあるようです。
[Zald et al.,1995] [船橋他,1988]
→コメント:3人以上の場合は、最初の1人だけ名字を書き、残りの著者はet al.や他で省略します。
[Goffman,1961a] [Goffman,1961b]
→コメント:本文中で、同一人物の同じ発行年の文献を引用する場合は、発行年にa,bをつけて区別します。
他人の論文を要約して紹介する場合や、本文中で関連する文献名を示したい場合も、これと同じような方法を用いいます。ただし、他人の著作の文章をそのまま転載するわけではないので、「 」で括る必要はありません。この場合は、地の文章の該当部分に[著者名(名字のみ),西暦発行年,参照ページ]という形式で、文献参照指示を書けばよいのです。
《例》
[奥田,1983,pp.123-125]
→コメント:このように書けば、奥田の1983年の論文の123ページから125ページを参考にしたことが読者にもわかる。
[奥田,1983;倉沢編,1990;高橋編,1992]
→コメント:複数の本を参考にした場合は、セミコロンでつなぎます。
[Johnston & Klandermans(ed),1995] [川崎・藤村編,1992]
→コメント:編著で本全体を参照した場合は、編者名を示しておきます。
注釈番号のふりかた
1) 『社会学評論』や『理論と方法』、『家族社会学研究』といった学術雑誌はこの方式を採用している。
2 洋書の場合は、この方式が多い。
(3) 両側括弧だと、注釈に気付きやすいけど、字と字との間に不自然な空間が出来るので、この方式は好まれない場合もある。
注釈の部分には、番号に続いて注釈の内容を文章で書きます。一見すると箇条書きのような形式に見えますが、ここではちゃんと文章を書かないといけません。
注意すべきは、2点あります。まず1点目は、言うまでもないことですが、注釈番号は文章のはじめから1、2、3、4、というふうに通し番号付けていくこと。決して9、3、7、5、4とランダムに番号をふってはいけません。また、同じ番号が2つ以上あるということもないようにして下さい。
2点目は、本文中の注釈番号と、最後の注釈部分の番号とを対応させることです。ワードプロセッサで文章を何度も書き直していると、注釈番号が狂ってくることがよくあります。本文中の注釈番号の1と、最後の注釈の1)で示される内容とは必ず対応しているようにして下さい。
ここに『卒業論文執筆必携』が編集されて、四年生の諸君に手渡されるにあたり、一言、まえおきを述べさせていただきたい。
「卒論の比較歴史社会学」は、わたくしとして、いつか手を染めてみたいと思っているテーマであるが、残念ながら、いまだ機会をえない。しかし、「卒論」はおそらく、西洋中世のツンフト(universitas)としてのボローニャ型大学で、その主体的構成員たる学生が、みずから学問的カリスマを証明し、「師匠magister」の資格を取得するための要件として、創設されたものであろう。それが、19世紀初頭、「フンボルトの大学理念」にもとづく近代型大学(代表例としてベルリン大学)に継受され、これを範として、わが国の大学にも移入されたものと思われる。この間、卒論が、学生と教師にとり、また卒論を仕上げて無事合格した卒業者を受け入れる社会にとって、いかなる意義を帯び、この意義がいかなる変遷を遂げてきたのか、を比較社会学的に考察するのが、上記テーマの課題である。
それはともかく、わが国の現状をみると、卒論がこれほど軽んじられている社会状況はないといっても過言ではあるまい。昨年夏休み明けの卒論中間発表会のさい、4月の構想発表会のレジュメと照合しながら、ひとりひとりの報告を聴いたところ、その間、ほとんど進捗がみられないのを知って愕然とした。これで、残り4カ月足らずのうちに、はたして作品を仕上げられるのか、と心配したものである。ところが、いざ最終提出物を読んでみると、みな、けっこうよく書けており、なかにはすぐれた論考もあって、当初の危惧は杞憂に終わってくれた。思うに、夏休み中は、みな、就職活動に奔走していて、卒論など、ほとんど手につかなかったのではあるまいか。
この経験から考えると、本学の学生諸君は、よい素質と能力に恵まれている。ところが、学問は、素質と能力に加えて、なによりも集中の持続を必要とする。これがなければ、よい作品は仕上がらない。そうした集中の持続を、学業期間中であることを承知していながら、割り込んで中断させ、あるいは少なくとも攪乱するのが、①企業の「青田刈り」 (近視眼的な人材漁りのエゴイズム) であり、②大学を就職予備校であるかに思いなして入学し、就職活動を優先させる学生と家族の短見であり、③これらに抗議して、制度上、求人-求職活動を卒業後に繰り延べさせ、在学期間中は学業に専念できるようにして、学問・教育の府としてのオートノミーを確保し、その責務をまっとうする方向に、改革していこうとしない、大学教師一般の事なかれ主義である。
いずれも、状況論としては、無理もないといえるかもしれない。しかし、原則論としては、近代社会とは、諸君も知ってのとおり、産業・政治・学問・芸術などの諸領域が、社会的分化を遂げ、それぞれがオートノミーを取得し、相互に尊重しあって、それぞれの責務を果たしあっていくような社会でなくしてなんであろう。とすれば、卒論をめぐる上記の現状は、わが国が、ポストモダン論議華やかな影で、実態としては依然として近代社会の体をなしていない、という実情の証左ではあるまいか。
では、学問・教育の府としての大学に固有の責務とはなにか。それは、状況の〈流れに抗して〉、右顧左眄することなく、原則的に間違っていることを「それは間違っている」とはっきりいいきれるような、批判的理性をそなえた主体を育成し、わが国がふたたび、とんでもない方向に流されていくのを防ぐことにあろう。あるいは、もっと積極的にいえば、「国家百年の計」を案ずるのが政治家の任務であるとすれば、22世紀の地球と人類のあり様を見通して思考を凝らすのが、研究者の責務である。そして、諸君は、将来、たとえ大学や研究所を職場とする狭義の研究者になるのではなくとも、それぞれの職業現場で、未知の問題に挑戦する広義の研究者として生きていってほしい。
しかし、わたくしたちは、この現実から出発する以外にはない。その第一歩は、諸君が、卒論への集中を妨げるような、状況の〈流れに抗して〉、卒論執筆への集中を持続し、教師も、その作品を、もっぱら学問的な観点から、厳正に評価することであろう。
こうした方向への一助として、今回この『卒論必携』が編集された。資料蒐集・独自編纂・印刷・製本などの労をとられた丹邉宣彦講師と院生の石原紀彦君に、記して深く感謝したい。
(1997年4月7日 折原浩記)