2012年1月2日
まず当然のことながら、卒業論文は卒業に際して求められる「論文」であって、それ以外の文章とは次元の異なるものである。質的にも量的にも学生の諸君にとって、初めて経験する作品となることだろう。本研究室では最低で400字詰原稿用紙100枚分の論文が求められているが、一つのテーマでこれだけの文章を書くのは決して簡単なことではない。しかし、問題意識をもって真剣に取り組んだ4年生たちの多くが、規定枚数をはるかに超える論文を仕上げており、その中には良質の作品も少なからず見受けられる。社会学という学問にたいする手応えをここで初めて実感する人も多い。後に続く諸君の努力と活躍に期待したい。
論文を書く際には、何よりも最初に問題意識とテーマを明確にしておくことが必要になる。2年生からの学習を通じて、すでに興味のある分野、得意な分野も明確になり、関連知識もある程度身についているはずである。好きな分野、知識のある分野でなければやる気も湧いてこない。ここをまず足がかりにして、テーマの輪郭を絞りこんでゆかなくてはならない。テーマの大枠が決まっていても、それだけでは論文の題目にはならない。そのテーマのなかで社会学として問題となしうることを、自分の関心とすりあわせて、取っ掛かりとなる地点をみつけなくてはならない。この戦略的ポイントをみつけるためにも、その分野に関するある程度の勉強と知識が必要なのである。
たとえば階層論に興味をもってホワイトカラーをテーマに論文を書きたいというところまで絞っていても、それだけでは論文にならない。昇進構造を問題にするのか、地域での交友関係をとりあげるのか、時期と地域を限定して階層形成史をやるのかなど、取り扱う対象をさらに絞りこまなくてはならない。理論的にも複数の立場があるので、どのようなスタンスをとるのかについて明確にしておかなくてはならない。常識がうっかり見逃していて、背後に何かおもしろい事がありそうな論点をうまく発見できればしめたものである。壮大なテーマを設定してしまうと後で苦しくなってしまう。一見面白そうな題材にみえても、社会学の対象として取り扱うのが難しい場合もある。また勉強不足から、あまりにも常識的なこと、すでに言われていることをしたり顔で繰り返すことにならないように注意したい。
適切なテーマが設定できれば、主題となる仮説がおぼろげながらもみえていることが多い。次にやるべきことは、この仮説が示している事柄に即して文献資料を集め、調査をおこない、これらを吟味し仮説と突き合わせて検討してみることである。その結果最初の仮定が誤りであることが分かれば、新たな仮説を立てなくてはならなくなるし、場合によっては論文の構成を大きく変えることが必要になるかもしれない。このようなプロセスを十分におこなうことによって当初の思いこみが修正され、文章が次第に論文らしくなってくるのだが、言うは易く行うのは難しい。例年の論文をみると、就職活動に時間をとられるためか、資料の収集と吟味が十分でない例が多い。文献・資料は読む以前に収集する段階ですでにかなりの時間を必要とする。せめて文献リストが複数ページにおよび、欧文の文献資料も参考にしたうえで論文を作成してほしいものである。なお、文献や資料を論文に利用するときには、きちんと注をつけ、典拠を示さなくてはならない。他人の業績の引用と自分の主張との区別が明確でなくなっているケースも時折みられるが、こうしたことは非常に恥ずかしいことと自覚してほしい。
学部の卒業論文では、アンケート調査を実施して分析することは困難であるかもしれない。しかし当事者に直接会ってのインタビューや資料収集などを実施することは比較的容易にできる。現実を対象として取り上げている場合、やはりこうした材料が入っているのといないのとでは、論文としての厚みが一段違ってくる。労力がかかり心理的な抵抗もあって大変であるかもしれないが、ぜひ積極的にアプローチしてほしい。
時間的制約やスケジュールにも十分注意してほしい。4年生にとっては就職活動が緊急の問題となるため、大学の授業も出席が困難になり、ましてや卒論どころではないという状況になるかもしれない。しかし、就職を決めてから準備や作業にかかっていると、やはり時間が足りなくなり、出来栄えに影響が出てくる。例年、もう少し時間をかけていれば良い作品になったと思われるケースが多いので、早めに準備を始めることをお勧めする。幸い、97年度からは、就職活動の開始時期がさらに前倒しされたため、むしろ早めに決着がついて時間的余裕ができる人が多くなるだろう。
ひとりで取り組んでいて行き詰まったら、教官や先輩の院生にも遠慮なく相談すると、いろいろとアドバイスを受けられる。ただし、社会学の論文の場合は、本人の問題関心と価値観が構成上とくに重要な役割をはたすので、手取り足取り一から十まで指導してもらうことを期待してはいけない。あまり教えてもらっていると本人の作品としての意味がどこかで消えてしまう。アドバイスを受けても、そのまま言いなりになるのでなく、有益な情報を取捨選択するだけの主体性が必要である。読書室にある過去の卒業生の作品をみるのも参考になるが、形式が整っていないものが多いので注意すること。卒論では、学問的に水準が高い独創的な素晴らしい作品というのは実際にはなかなか難しいかもしれない。しかし、個性的で読んで面白い作品が毎年いくつか提出されていて、これらは、ほぼ例外なく書いた人が真摯に取り組み、自分の個性や関心を反映したケースである。反対に、手を抜いたり問題意識が不明確であったりすると、これも一目瞭然に分かってしまう。まさしく、「文は人なり」なのである。
卒論は、学生生活の最後に待ち構えている大仕事であり、見方によってはやっかいな障害でもあるが、しかし逆に一度しか取り組むことができないチャンスでもある。悔いの残らないように頑張っていただきたい。