上田良二「大学院生の創造性を引き出すには」



最近、創造的な人材の不足が叫ばれているが、創造性はいわゆる教育で教えられるものではない。良い環境を与えて隠れているものが伸びてくるのを待つほかないが、今日の日本の教育はその逆を向いている。例外は別として、小学校から大学まで、教えられた通りに習う者が真面目で、創造性を発揮する者は生意気とされている。そのうえ、今日の受験競争は詰め込む一方で、伸びるのを待つ余裕などない。まことに困ったことだが、問題が広範にすぎるから、ここでは話を大学院に限る。

院生の創造性を引き出すには、なるべく漠然とした研究題目を与え、自分で考えさせるのがよい。私が学部を出て西川正治先生の門に入ったとき、先生はY先輩のお古の電子回折装置を示し、「これで何かできませんかね?」と言われたほかは、何の指示もされなかった。私は途方に暮れ、暗闇のなかをさまよったが、この間に小さいながら私の創造性の芽が伸びた。このようにされたら、今日の院生はどうするだろう。私は、つい恩師の流儀に従い、ある院生を気の毒な目に遭わせてしまった経験がある。院生たちは私を不親切で無責任だと批判したと思う。彼らに好ましいのは、スマートな研究を軌道に乗せ、「真面目」にやりさえすれば博士にしてくれる教授である。また、教授にとっては、「真面目」で勤勉な院生は業績を上げるのに好都合だから、両々あいまって、考えさせて伸びるのを待つ教育は行なわれない。

他方、卒業生を採用している企業などに行ってみると、最近の若者は勤勉だが個性に乏しく、困難につきあたると全く無能だ、といった不満を聞く。これが当を得ているかどうかは別として、多くの教授はこの種の批判を本気で受けとめているだろうか。私は現役の終わりのころ、院生のために一応の軌道を敷いたが、脱線しても元には戻さぬよう気を配った。これが創造性を引き出すきっかけになると思ったからである。一方、多くの若い教授は院生の脱線を嫌っているようだが、これは小さな専門分野に閉じこもっているせいではあるまいか。目を学外に向け、今日の活発な開発の現場を見れば、小さな脱線などは問題外になるはずなのだ。そもそも、自分の教室の卒業生がどんな職場でどんな仕事をしているかを知らないとすれば、教育者としても怠慢だろう。教授が学外に学ぶことは「産学協力」以前の教育の問題であり、良い刺激を受けることにもなる。企業側もこれを歓迎し、大学側に正しい批判をぶつけ、教育活性化のために真剣な討論をお願いする次第である。

(原題「創造性の育成」。「応用物理」第53巻第8号巻頭言、1984年)


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