上田良二「多人数教育の物理演習」



名城大学理工学部で演習を含む物理の講義を行なった経験を述べる。従来の演習と異なる点は、学生の各人の思考に合わせて討論を行なったことである。多人数(60人以上)の組で個人的な討論を行なうのは、困難ではあるが工夫次第で不可能ではないことを強調する。

私は名古屋大学を退官してから11年間、名城大学の理工学部で物理を教えた。その最後になって、演習を含む講義を受け持ったのが、深く印象に残った。

理工系の教養物理は、すべての専門課程の修得に必要な基礎科目と考えられているが、じつはそうではないらしい。多くの場合、各課程に必要なことは、それぞれの専門の先生が初歩から教えているからである。そこで私は、実用より教養としての物理を教えたいと思い、物理の概念が日常語の意味といかに違うかを明らかにすることを一つの目標にした。私がこんなことを思いついたのは、学生は式では書けても、力やエネルギーの概念さえ明確に理解しているとは限らないからである。そのため、日常語で話をすると、ほとんどすべての者がとんでもない間違いをするのである。

ふつうの物理の課程では、力、質量、加速度などを、白紙に絵を描くように教えていくが、学生の頭の中は白紙ではない。曖昧ではあるが、すでに先入概念による絵が描かれている。それをそのままにして物理の概念を押しつけても、無理がある。学生によっては、先入概念と物理概念とを別々の紙に描いて、頭の中に納めている。そして、日常は前者を、試験になると後者を持ち出す。そこで私は、先入概念から出発して物理の概念に導くことを試みた。これは、困難ではあるが、工夫をすれば不可能ではない。成功したと言えば誇張になるが、60人を超す教室で試みたので、以下にその方法を説明する。

演習問題は一回前の講義の終わりに出しておき、次の回に解答を書かせる。問題は、例えば「共鳴が起こると音が大きくなる。それでもエネルギー保存の法則に反しないことを説明せよ」というようなものである。この場合、音叉と共鳴箱を教室に持参し、実験をして見せ、学生にもさせる。試験ではないから、解答を書くときに学生どうしで相談してもよいし、わからないことを私に質問してもよい。だが、聞いたことを鵜呑みで書いてはいけない。自分で納得してから書くように、と注意する。時間の終わりに解答を集め、全部に目を通して朱を入れる。本当は文章まで直してやりたいが、それは不可能に近い。ふつうは、下線をつけたり、○、△、×などの記号をつけるのが精一杯である。問題によっては、答案A、B、Cなどの型に分類して、それを書き込む。次の時間に、答案を見ながら学生を指名して問答をする。例えば、「U君はかくかくの意見を述べているが、どのような発想でこの意見に達したか?」といった調子である。A、B、Cなどの分類ができた時は、各型の代表者を中心に討論して、最後に正解に導く。

そのあとで、新しい問題の紙を配ると同時に、朱を入れた答案を各人に返す。そして、一般には新しい問題に取り組んでいる時に、教室内を歩き回り、すでに討論を済ませた問題に関する質問を受ける。全員を前にしての説明で正解を出しておいても、さらに個人的な問答をしないと納得しない者が多い。これは各人の先入概念が違うからである。自分が正しいと思っていた解答に×印をつけられた学生は、ほとんど必ず質問をする。質問をしない学生にはこちらから話しかける。その時に、一方的に正解を押しつけないで、極力、学生の考えを説明させる。そのうえで、先入概念より物理の概念のほうがいかに信頼できるかを強調する。もちろん、私の説明を釈然と受け入れる者もいるし、なお首をひねっている者もいる。いずれにしても、問答は個人的だが、他の学生は新しい問題をやっているので時間の無駄にはならない。しかも、一人の学生と問答をしていると、たいていは周囲の数人が合流してくる。学生は似た者が近くの席にいるらしく、数人を束にして、実質的には一対一の討論ができるから能率がよい。合流してくる学生の中には、目を輝かせている者がいるし、討論の途中で突然納得して笑みをもらす者もいる。教師として、この笑みを見るくらい嬉しいことはない。問答をしてみると、多くの学生の頭の中は混乱しているが、ときにはギリシャの哲学者を思わせるような論理を聞かされて驚くこともある。

私がこの演習法に気づいたのは引退のわずか二年前だったので、自慢できるほどの経験はない。解答に目を通すのに手間がかかるが、えんま帳で指名して黒板に解答を書かせる従来の方法よりはるかに効果が上がった。少なくとも、この演習で物理に興味を覚えた学生が何人かはいると思う。理科系でも、教養課程の物理を文字通りの教養科目にすれば、この種の方法は他にいくらでも考えられよう。

(原題「多人数教育での物理演習」。「物理教育」第35巻第3号、1987年)


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