上村泰裕「柴田南雄氏の思い出──『追懐録』あとがき」

 

柴田南雄氏は病床で、雪が見たいとおっしゃったそうだが、告別式の日は雪になった。明るい空から静かな多声音楽のように降りしきるその景色が、この五年間のさまざまな思い出とかさなり目に焼きついて離れない。

 

南雄先生は、祖母の従兄にあたるが、私にとっては遠い親戚のおじいさんであるよりも尊敬する先生というほうが近い。大学進学で上京する前から《宇宙について》そのほかの作品や著書、ラジオ番組などを通じてすでに相当なファンになっていたので、上京してすぐお宅におしかけた。以来、八回も遊びに伺い毎回長時間いすわったが、南雄先生は、ご自身の四分の一の年齢の若者に、まるで学校の後輩に対するような気やすさでいろいろと話して下さった。いつも思考の速さ、しなやかさ、記憶の豊かさ、着眼の新鮮さに驚かされ、とてもその死を目前にした老人と話しているという気はしなかった。こちらが何か話題にすると、その三倍くらいの興味ふかい関連情報をご存じだった。

 

ある時──それは調べると一九九二年十一月二十三日のことであった──、なにげなく見ていたテレビニュースでドイツの極右青年によるトルコ人排斥放火事件が報じられたが、事件のおきた町の名が「メーレン」と誤って報道された。南雄先生は「そんなはずはないですよ。Mährenていうのはモラヴィアのことで、ドイツじゃないですよ」とおっしゃって、すぐに書架から詳細な地図をとりだしてきて、ハンブルクの東に Mölln(メルン)という町があることを確認されたのだった。書架には音楽辞典はむろんのこと、ドイツ語の百科事典、露和大辞典、社会学事典から逆引き広辞苑にいたる多数の参考図書がそろえてあり、南雄先生はどんなことについても普通より一歩ふみこんだ情報を得ておられた。これは私もなるべくまねしようと思っている。

 

科学的な着眼にもたびたび感心させられた。芭蕉の句に音が含まれているものがいくつあるか数えたり、アナウンサーの言いまちがいを分類して数えたりした話は、背後の文化論的仮説もさることながら、身のまわりのささやかなことがらに対してさえ科学的観察を試みる意識の明晰さに感動すらおぼえた。

 

こだわりのない遊びの精神もあった。《自然について》は、ニュートン、ラヴォアジェ、ダーウィンなどの理論を歌詞にして、それぞれの科学理論の生まれた時代の音楽様式で曲をつけたものだが、この作品について「あれはちょっとふざけすぎたかな」とおっしゃった。そして「今度はコロポックル説をからかう曲でも書いてやろうかしら」とも言われた。《宇宙について》など作品のポストモダン性にもかかわらず、作曲者自身はきわめて科学的、近代合理主義的な思考の持ち主だと思っていた。今でも大体そう思っているが、沖縄の民俗の話を伺ったときは、南雄先生の異世界に対する感受性を垣間見たような気がした。ノロ(巫女)が神がかりになって道を歩きながら、少しもくりかえしのない旋律で神様の言葉を歌いつづける話や、祭の日には、今まで案内してくれていた教育委員会の人が急にそわそわして踊りに行ってしまったという話を、観察者の醒めた客観性とは少し違う敬虔さをもって話して下さった。

 

窓から見える夕焼けの富士山に、「ああきれい!」と若い女性のような声をあげられたのにはびっくりした。そう言われて窓外を見ると、紫がかった空はたしかに美しかった。けれども次の瞬間、「この空の色はピナトゥボ火山の噴煙の影響ですよ。日本の夕焼けはこんなグロテスクな色じゃないですね」と言われてさらにびっくりした。この説明があたっているのかどうか私にはわからない。しかしこの時、外界の事物に対する二種類の認識方法を一度に見せられたような思いがしたのだった。

 

最晩年の五年間にさえ、南雄先生は作品一〇六から一二一まで(一二〇は未完)の十五曲もの新作を書かれた。それらは以下のとおりで、いずれもどこかに新しいくふうがあって印象ふかい作品ばかりだ。

 

《遠野遠音》(合唱、柳田國男『遠野物語』ほか)

《美女打見れば》(男声合唱と小鼓、『梁塵秘抄』)

《さくら》(女声合唱と箏、古歌ほか)

《七段遠音》(箏)

《みなまた》(合唱、徳富蘆花『自然と人生』ほか)

《グラスハーモニカのエッセイ》

《冬の歌》(女声合唱、新美南吉『墓碑銘』)

《銀河街道》(児童合唱、カリスティヌス写本ほか)

《無限曠野》(合唱、草野心平『大白道』ほか)

《深山祖谷山》(合唱、太田信圭『祖谷山日記』ほか)

《狩の使》(三絃、『伊勢物語』)

《石ニ聞ク》(合唱、佐藤信)

《三重五章》(合唱、本居宣長『玉勝間』ほか)

《府中三景》(合唱、大田南畝『三餐余興』ほか)

《賢王年代記》(オーケストラと合唱、未完)

《ヨセフの夢》(声・リコーダー・コントラバス、ヤコブ原福音書)

 

昨年の末に初めて《銀河街道》を聴いたときは、その天国的な美しさに感動すると同時に、西洋のわらべうたや巡礼歌をシアターピースにするという新しい試みが、おそらく《賢王年代記》の伏線であるに違いないと思った。《賢王年代記》は、スペインのアルフォンス十世という学芸に秀でた王様が、作曲に熱中するあまりイスラム勢力の侵入を招いたという故事にかんするものだと伺っていたが、完成すれば比較音楽学的、文明交流史的洞察にみちた興味ふかい大作になったことだろう。つぎつぎに新鮮な音楽を書きつづけているときに逝かれたのは、かえすがえすも残念でしかたがない。

 

少年の目のかがやきで古今東西のさまざまなお話を聞かせて下さった、演奏会の切符をいつも親切に送って下さった、ご自分の作品の演奏のあとではかならず微苦笑しながらあいさつされた、あの柴田南雄氏のおもかげを永遠に私の記憶にとどめるために、この小冊子をつくった。聞きちがいや独断的な記述も多いとは思うが、純子夫人と、柴田南雄氏の音楽を共通の話題としてきた少数の友人たちにも読んでもらいたいと思っている。

 

1996年2月20日)

 

 

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