上田貞次郎「国立人口問題研究所生まる」

国立人口問題研究所新設費十万円が来年度予算にのぼったことは、歓迎すべきニウスであって、われわれにとっては十年来の要望が実現したことになるのだが、さていよいよできると聞けばまた心配のこともある。それは、研究所へ種々雑多の問題が持ち込まれて、あぶはちとらずになることだ。室と机だけ立派になって実績が挙がらないことだ。そこで、これだけは国策の基調を定めるためにぜひ調べておかねばならぬという最重要の事項を取り上げて、それに全力を集中しなければなるまい。

愚考では、わが国の人口問題として最重要の事項は出生率低下の傾向と死亡率のはなはだ高いことである。欧米諸国では近年、出生率が極端に低下してしまって、現在の人口を維持する望みもなくなってきたから、いずれも出生率の問題に注意を向けているのであって、現に結婚および出産の奨励政策を実行しはじめたところの伊、独は申すまでもなく、英国でも調査だけは根本的にやりだす模様である。だから日本でも同様に、子を産むことが唯一の問題であるかのように早呑み込みする人もあるように思う。けれども、事実わが国では西洋にないところの大問題があるので、それは死亡率であることを十分に認識してかかることが必要である。

出生率は、低下の傾向ありといえどもまだまだ心配するほどのことはない。死亡率は、低下しながらもなお西洋に比すれば非常に高いのである。日本国民の子孫繁昌を望むならば、産むこと以上に死なさないことを考えよといわざるを得ない。

今から二十年くらい前までは、日本全国の出生も死亡もあいならんで増加したが、出生は死亡以上に速く増加したから、年々の人口増加数が上昇したのである。しかるにその後は、一方に出生の増加が鈍くなったにかかわらず、他方に死亡数が絶対に減少したから、両者の差たる自然増加はどんどん上がって毎年百万に達する状態である。かくのごとき死亡の減少は誠に喜ぶべきことだが、しかし、現在の死亡率は、なお千人につき二〇人であって、英仏等の約一二に対し非常な遜色がある。

日本で毎年生まれる子供の数は二百二十万あるけれども、小学卒業する者は百四十万しかない。さらに、徴兵検査を受ける男子の数は六十万しかない。

乳幼児の死亡率、青年の死亡率が高くして、せっかく生まれた子が満足に育たないのである。百人生まれた子どもがあるとして、それが満一歳になる前に十三人は死んでしまう。満六歳で学校へ行くようになる者は八十人に足らず、丁年に達する者七十三人しか残らない。

どうしてかように多くの子どもが死ぬのであるか。死因は何病であるか、生活状態にどんな欠陥があって発病するのか。肺病および花柳病はどれほどの害をなしているか。都市と農村との間にいかなる差があるか。府県別にしたらいずれの地方が最も悪いのか。所得階級別にしたらどうか、外国の状態と比較したらどうか。西洋ではいかにしてこの問題を解決したか。わが国の経験は如何。これが国民の大問題であることは何人も否定し得ないだろう。国費多端の際に新設される国立研究所がこの問題さえも答えられないとしたら申し訳はあるまい。しかし、これだけが完全にわかれば十万円はやすいものだといい得る。この他にも人口の重点はもちろんあるので、特に出生率低下の事実を明らかにしなければならないが、調査の範囲ばかり広くなって、中心を見失ってはならない。

(「朝日新聞」1938年12月15日。上田貞次郎『白雲去来』所収)


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