はしがき

2012年1月1日

松本 康

 「レポートの書き方」。そんなことまで指導するのか....。小生の学生時代、レポートの書き方を教わった覚えはない(だからいい加減なレポートを書いていた?)。どんなレポートを書いていたかほとんど覚えていないのだが、今から考えてみると、単位を取るためにやむなく書いたレポートと、内容的に興味があって結構ノッて書いたレポートがあったように思う。しかし、いわゆる「形式」は学術論文を見て、見よう見まねで覚えてきた。

 以前の学生なら、模倣で身につけていたことを、近年はマニュアル化しなければならない。一体どうしてなんだろう。一昔前の話になるが、北川隆吉先生の演習で夏休みの宿題に「学術書を1冊読んでレポートを書け」という課題があった。学生たちが「学術書」と「一般書」の区別がつかず戸惑っていたところ、誰が言い出したのか「ハードカバー」のものが学術書、「ペーパーバック」が一般書という識別法が開発された。当時はなるほどと感心していたが、最近では、どちらともつかない中間的なものが多く出回るようになり、ハードカバーが良い本であるとは限らなくなった。学術書のバウンダリーが曖昧になり、学生から見てしかと学問の世界を見据えることが難しくなってきたのである。従って模倣すべきモデルを見まちがう可能性も増してきている。

 さて、教師の立場から言うと、①レポート課題は授業と連動しており、②レポートは教官が読むものである、という基本を踏まえて欲しい。授業とレポート課題との関連のさせ方はそのときによって一様ではない。授業で触れられなかった点を補うためのレポート課題もあれば、講義内容の総括としてメインテーマにかかわるレポート課題もある。授業との関連を「読む」ことが「良い」レポートを書く基本であろう。授業をさんざんさぼっていて、レポートだけ出せば単位がもらえるなどと考えるのは大きな誤りである。

 第2は、レポートを読む人は原則として教官一人であるという事実である。ある本についてレポート課題を出すと、たいていその内容を要約したものが提出されるのであるが、読む身になって考えて欲しい。同じ本の要約を何十と読まされることになる。気の利いたコメントの一つでもないと、徒労感だけが残ってしまう(だから、最近は、本を読めというレポートを課さない。その結果学生は本を読まない?)。小生が課すレポートはたいてい調査レポートである。この場合、調査課題はいくらか漠然としたものであるが、それは何か新しい発見を期待しているのである。学生の調査レポートがきっかけで、本格的な調査に発展したことも一度ならずあった。高校までの理科の実験のように、結果の分かっていることを体験してみよという課題は、通常出さない。それは宿題の範疇だと思っている。

 レポートは、ある授業の文脈の中で、その授業の担当教官に向けて書くものである。それは授業における学生側の応答なのである。この点をしっかり踏まえておけば、そうひどいことにはならないだろう。スキルは意識さえしていれば自ずと覚えられるはずである。あまりマニュアル化しすぎて、金太郎飴のようなレポートを読まされることだけは避けたい。