上田貞次郎「夏休み前の対話」

 

 

しばらく会わなかった学生が夏休みで帰郷する前に訪ねてきた。今年はどういう計画をしているかと問うたら、何か書物を読もうと思うので教えを受けたいという。学生は休暇中でなくとも読書の時間はずいぶんあるはずだ。特に休暇中に読むなら、大きいものを味わって読んだらよかろう。例えばアダム・スミスの国富論、マルクスの資本論、マーシャルの経済原論など、よく話は聞くがじつは本の形を見たこともないという人が多い。しかし本の名だけ知ったり、形だけ見たりして喜ぶのは馬鹿なことだ。読まないくらいなら見るだけ労力が無駄になる。日本支那の古典でも、平生つねに口にしながら実際読んでないのが誰でもある。君は古事記を読んだことがあるか。論語はどうだ。

しかし読書のほかには、夏休みを利用したいなら見学旅行をするのがよい。暑い時には読書よりもこのほうが能率があがるかもしれない。自分は都会育ちで農村のことを知らないから、学生時代に農村の友人を訪ねて大いに日本経済の知識を広めたことがある。とにかく現在でも日本人の半分が農民であって、しかも農村は疲弊しているといわれているのに、その農民の生活を知らないで西洋の本ばかり読んでもその知識は片輪だ。統計上農家一戸の平均耕作面積は一町だというがその一町をどうして利用しているのか、二毛作とはどんなことか、税金はどれほど出すか、一家の収支はどうなるか、多少秩序を立てて観察して見れば、日本経済の見方が非常に具体的になってくる。農村問題の議論が地についてくる。

海水浴に行く者は無数にあるが、漁夫の生活を観察してくる者が何人あるか。国勢調査によると、漁業有業者数は本業だけで五十五万、その家族を入れて百五十万となっているが、その中には昔からある沿岸の漁民がどれほど、鰹鮪など取りに機械船で沖へ出る者がどれほど、さらに大汽船で遠洋へ出稼ぎするのがどれほどあるか、ということが先日自分のゼミナールで討論の問題になった。これは実際重要な問題だが、これも漁村の現状を見ながら考えなければわかるまい。例えば、漁業者中に業主と被雇者と分けてあっても、実際は日魯漁業会社のような大会社もあれば、原始的な船主と漁夫の漁獲物分割制度をやっているのもある。かくのごとく新旧混合したところに、伝統的な日本の経済生活の上に資本主義の乗り込んできた現代国民経済の真の姿が見られる。

時に君の家は小売店をやってると聞いたが、君は自分の店の営業の実際を知っているか。家業は兄がやるから自分は知らぬでもよいなどといわずに、せめて休暇中くらい丁稚になって店番をやって見たまえ。本を読むばかりが大学生の仕事ではない。

 

(「一橋新聞」193576日。上田貞次郎『白雲去来』所収)

 

トップページへもどる