以下は『福祉社会事典』(弘文堂)と『現代社会福祉辞典』(有斐閣)で執筆を担当した人名項目です。
ドイツと日本の社会政策学派について調べたことは、とても勉強になりました。
新島襄 1843.1.14.-1890.1.23.
キリスト教伝道者、教育家。1864年脱藩渡米、アマースト大学およびアンドーバー神学校で学ぶ。
1872年岩倉遣外使節団に同行して欧米の教育事情を視察、
日本の独立と文明開化のためにはキリスト教精神に基づく自由主義教育が不可欠と確信した。
1875年同志社英学校(同志社大学の前身)を創設。また日本基督伝道会社を設立して各地で伝道。
門下に安部磯雄(キリスト教社会主義の政治家)、山室軍平(日本救世軍の創設者、社会事業家)。
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片山潜 1859.12.3.-1933.11.5.
日本の社会主義運動の先駆者。働きながらエール大学などで学ぶ。
1897年キリスト教社会主義者としてセツルメント「キングスレー館」を設立し社会事業を開始。
高野房太郎らと労働組合期成会を結成。社会改良主義から社会主義に進み、社会民主党を結成するが即日禁止となる。
1906年結成の日本社会党では直接行動論を批判し議会主義を主張。
政府の弾圧を受けて渡米、共産主義者となる。後にコミンテルン執行委員として日本の共産化を企図した。
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安部磯雄 1865.3.1.-1949.2.10.
キリスト教社会主義の社会運動家・政治家。
同志社で新島襄より受洗、アメリカのハートフォード神学校に留学、東京専門学校(早稲田大学)教授。
1901年社会民主党結成にあたり宣言書を起草、都市社会主義の主張を盛り込む。
大正デモクラシー期以降、日本フェビアン協会会長、社会大衆党委員長を務め、代議士当選4回。戦後、社会党顧問。
廃娼運動・禁酒運動・産児制限運動に取り組む一方、早大野球部を創設し六大学野球の基礎を築いた。
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高野房太郎 1869.1.6.-1904.3.12.
日本の労働組合運動の先駆的組織者。高野岩三郎は実弟。カリフォルニアで働きながら経済学を独学。
ガントンの『富と進歩』に感銘を受け、労働組合運動による賃金水準向上が経済社会発展の原動力になると確信。
アメリカ労働総同盟(AFL)会長ゴンパースの知遇を得、AFLオルグとして帰国。
1897年片山潜らと労働組合期成会を結成し、鉄工組合を組織した。また共働店(生活協同組合)も設立。
いずれも不成功のまま中国で客死した。
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横山源之助 1871.2.21.-1915.6.3.
社会問題研究者。弁護士を志したが失敗、二葉亭四迷に師事してルポルタージュ作家となった。
新聞記者として下層社会を調査する一方、労働組合期成会に参画し初期の労働運動を支援。
『日本之下層社会』(1899年)では、新旧下層階級の生活実態を活写して社会問題の存在を訴えた。
農商務省の『職工事情』調査にも尽力。労働運動を離れた後は、
都市研究や富豪研究に手を広げるとともに、ブラジル殖民に社会問題解決の期待をつないだ。
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高野岩三郎 1871.9.2.-1949.4.5.
統計学者。高野房太郎は実兄。ミュンヘン大学に留学、東大教授。
「二十職工家計調査」「月島調査」など最初の本格的社会調査を実施したほか、第1回国勢調査を準備。
1919年第1回国際労働会議労働代表の選任問題をめぐって東大を辞職、
大原社会問題研究所初代所長となり社会問題研究者を組織した。労働運動や無産政党の助言者としても活躍。
第2次大戦後、共和制憲法私案を発表し、NHK会長として放送の民主化のために尽力した。
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関一 1873.9.26.-1935.1.26.
経済学者、
ドイツ社会政策学派の影響を受けて社会政策を研究し、とりわけ工業労働者が集中する都市に注目、
都市計画および都市社会政策の必要性を主張した。1914年
大阪港・御堂筋・地下鉄・公設市場・市営住宅などの都市基盤を整備したほか、
郊外住宅地の形成による「分散主義の都市建設」をめざした。
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福田徳三 1874.12.2.-1930.5.8.
経済学者。ミュンヘン大学でブレンターノに師事、東京商大(一橋大学)教授および慶応義塾教授を歴任。
ドイツ社会政策学派の立場からマーシャルを摂取し、マルクスの批判的紹介を経て厚生経済学の研究に進んだ。
階級闘争を人格化・厚生化しようとする政策として社会政策を捉え、「生存権の社会政策」を提唱。
吉野作造らとともに黎明会を組織して民本主義運動を指導し、
内務省社会局参与として社会問題調査と社会政策立案に尽力した。
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上田貞次郎 1879.3.19.-1940.5.8.
経済学者。イギリスおよびドイツに留学、東京商大(一橋大学)教授、後に学長。
自由貿易論と株式会社論から出発したが、第1次大戦後、社会問題の歴史的・政策論的研究に進み、
資本主義・社会主義のいずれにおいても企業家と労働組合がそれぞれの役割と社会的責任を担うべきことを主張した。
第1回国際労働会議に政府代表顧問として出席し、ILO条約案批准のために運動。
晩年には人口問題研究を通じてブロック経済化を批判した。
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河合栄治郎
1891.2.13.-1944.2.15.
社会政策学者。東大教授。はじめ農商務省に勤務したが、第1回国際労働会議の政府方針をめぐり上司と対立して辞職。
イギリスに留学し、グリーン(1836-1882)の理想主義哲学を研究。
社会政策の目的は社会のあらゆる成員の人格の成長にあるとし、その手段として社会民主主義を主張した。
「戦闘的自由主義者」としてマルクス主義と国家主義を批判し、学内政治でも両派と対決。
著書が発禁となり休職処分を受けた後は法廷闘争を展開した。
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大河内一男
1905.1.29.-1984.8.9.
社会政策学者。東大教授。改良主義や社民主義を「社会政策の形而上学」として批判し、
自ら「社会政策の経済理論」と呼ぶ体系を構築、社会政策を国家による労働力保全政策と規定した。
これは戦時統制経済下で社会政策を擁護する意義をもったが、日本の社会政策学が労働分野に偏る一因にもなった。
戦後は労働調査を主導し、出稼型労働・企業別組合を日本的特殊性として提示。
東大紛争で総長を辞任。社会保障制度審議会会長などを務めた。
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オーウェンOwen,
Robert 1771.5.14.-1858.11.17.
産業革命期の企業家にして社会改革家。ニューラナークで人道主義的な紡績工場コミュニティを経営。
2000人の労働者に社宅を与え、消費組合・共済組合を設けて福利向上に尽力。
環境が性格を形成するという信念から「新学院」を設けて労働者とその子女を教育した。
その後、工場法制定運動、共産村建設、協同組合運動、全国労働組合連合結成などを指導。
これらの試みは短期的には失敗したが、イギリス社会主義の発展の源流となった。
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エンゲルス Engels, Friedrich 1820.11.28.-1895.8.5.
経済学者、社会運動家。1842年父親の出資した紡績工場を経営するため渡英、資本主義の核心にふれる。
『国民経済学批判大綱』『イギリスにおける労働者階級の状態』を著わしてマルクスを哲学から経済学に転向させ、
以後、彼とともにマルクス主義を創始。『資本論』執筆を物心両面で援助し、遺稿を編集。
マルクス主義を経済学からより広い一般科学に拡張しようとした。
「第二インターナショナル」を指導して国際労働運動の中心となる。
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ワグナー Wagner, Adolph 1835.3.25.-1917.11.8.
経済学者、財政学者。ドイツ社会政策学派の右派。ベルリン大学教授。
シュモラーらと社会政策学会を創設するが、後に脱退。キリスト教社会党を結成、下院議員・上院議員となる。
自由放任主義とマルクス主義に反対して「国家社会主義」を提唱。特定経済部門の国有化、保護関税、累進課税制などを主張した。
国家財政は年々膨張するという「ワグナー法則」を定式化したが、
彼にとって国家活動の拡大は社会進歩の証左にほかならなかった。
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シュモラー Schmoller, Gustav von 1838.6.24.-1917.6.27.
経済学者。ドイツ社会政策学派の中心的人物。ベルリン大学教授、上院議員。
社会政策学会の創設、「シュモラー年報」の刊行などにより学界を指導。
経済的自由を前提とした上で、階級闘争から独立した官僚制による弱者保護の社会政策を主張した。
「方法論争」(歴史か理論か)と「価値判断論争」(倫理主義か価値自由か)におけるメンガーやウェーバーの敵役として
名を残すが、彼自身の実証的・実践的な方法論も独自の意義をもっている。
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ブレンターノ Brentano, Ludwig Josef (Lujo) 1844.12.18.-1931.9.9.
経済学者。ドイツ社会政策学派の自由主義的左派。ミュンヘン大学教授。シュモラーらと社会政策学会を創設。
何回かの渡英とイギリス経済史研究を通じて、自由貿易主義と労働組合主義の理論的信奉者となる。
経済的自由を完全に実現するためにこそ、弱い立場にある労働者の団結権を承認する必要があると主張。
国家による社会政策よりも、労働者の自助組織による「下からの」社会改良に期待を託した。
日本の福田徳三は彼の高弟の一人。
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