上田貞次郎「青淵先生とアダム・スミス」

 

 

私は日本における株式会社の歴史を調べるについて〔上田貞次郎『株式会社経済論』冨山房、1913年〕、申すまでもなくこの制度の開山たる青淵先生〔渋沢栄一、18401931〕のお書きになったものなどを渉猟しました。また、この目的で先生に親しくお目にかかって教えを受けました。それによりますと、先生は維新前、御洋行中にヨーロッパの会社制度に着眼せられて、国の富を起こすにはぜひともこの制度を採用しなければならぬというので、明治政府に居られた劈頭に『立会略則』という書物をお書きになり、民間に下っては第一銀行を設立して、自ら会社制度の範を示されたのでありますが、その時のお考えのなかに、

「当時の町人は昔ふうの因循姑息の風習を脱しないので、とうてい博く知識を世界に求めて新事業を起こすというような見識がない。日本でかくのごとき見識を備えたものは士族のほかにはない。しかるに士族は軍人や官吏になりたがる、商工業に対する興味は極めて薄いのであるから、何とかして彼らを奨励して国富開発のわざに参加させなければならぬ。その意味において会社制度というものは必ず効果があるであろう。有為の士族は普通の町人の番頭となって働くことは肯んじなくとも、多数の人から資本を集めて成り立ったところの、いわば公の性質を持った株式会社の重役または高級使用人になるということならば、多少の名誉もともなうことであるから、士族らを相当引きつけることができるであろう。すなわち、会社制度を起こすのは、たんに金を集める手段となるばかりでなく、人材を実業界に入れる手段として最も有効なるものであろう」

ということでありました。果たして先生のお見込み通り、国立銀行を始めとして各種の事業は、会社の形式により士族の才幹によって非常なる発達を遂げたのであります。

そこで私が非常に面白いと思うのは、右の先生のお考えと、アダム・スミスが国富論中に書いた株式会社についての意見と、ある意味において相反しているということであります。申すまでもなく、アダム・スミスは十八世紀の末における英国その他の国々の会社の実状を観察してその結論を得たのでありますが、彼の意見では、

「株式会社というものは、大勢の金を集めて少数の重役に運転せしめるものである。重役は、普通の商人のごとく自分の金を取り扱っているのでなく、人の財産を預かっているのである。それゆえに事業に対する熱心が足りないのは当然のことであり、したがって経営が放慢になり、時としてはいろいろの不正行為が行なわれる。故意に不正を行なわないでも、重役はあたかも大家の三太夫のごとく、微細の費用を節約するのは主人の名誉に反するというような心組みで仕事するから浪費が多くなる。それであるから従来、株式会社というものは多く失敗に帰している。ただ銀行とか、保険とか運河とかいうような、比較的規律的に処理し得られるところの事業、そうしてあまり機敏な進退を必要とせざるようなことだけは、株式会社にやらしてもやれる」

といっているのであります。

これを青淵先生の維新当時のお考えと対照してみると、一方は株式会社は経営者の物質的の利害関係が薄いから成功困難なりというに反して、他の一方はそれには多少の名誉がともなうから立派な人物を惹きつけうるということになります。

もちろん立派な人が来ても、物質的の利害の薄いためにスミスのいったような弊害がともないうるから、この二つの意見は必ずしも衝突するわけではないが、眼のつけどころが全く異なっているのであります。しかもそれが、各々の国情とその時代との形勢に基づいてたてた議論であるから非常に面白く感ずるのであります。

東洋において株式会社を採用して成功したところは、日本のほかにはまだありません。支那などは日本より早くヨーロッパ人と交通しており、かつ支那人は日本人よりもいっそう商業的国民であるというにかかわらず、今までのところ、支那では会社事業は多く失敗に終わっております。

その理由はもちろん、支那人は五、六十年前において、日本人のごとく思い切って西洋文明を採用するという、いわゆる開国進取の国是を採らなかったためでありますが、また支那に士族という階級の存在していないことが重要な原因をなしていると思うのであります。日本でも町人は概して一家一門ということにとらわれておったが、今の支那人はやはり一家一門の損益のみを主張するがゆえに、会社の経営を誤ることが多いといわれています。

これに反して士族は昔から、殿様の御用を勤めるということ、すなわちアダム・スミスの言葉をもってすれば「他人の財産を管理すること」に長い経験を持っている。そこに一種の清廉潔白なる風儀を養い得たのであって、それが実業界に入って会社の発展に貢献したのである。これはわが国にとって今までに非常な幸福なことであったのは申すまでもありませんが、将来においても実業家がその事業をもって生命となし、これを一家の私事となさずして天下公共の機関と見て、そのために自分の技倆を働かせるということにならなければ、いわゆる資本主義に立脚するところの現代の文明はすこぶる危険なものがあろうと思うのであります。

アメリカの自動車王ヘンリー・フォードの自伝〔フォード『藁のハンドル』中公文庫、2002年〕を読んでみると、同氏は「三十年前にその事業を始めてから今日に至るまで、他人を押し倒して金を儲けたことはない。自分は生産費の節約のために苦心して、その結果の良いものを作って大きな販路を開拓し、したがってその結果として金もできたのである。自分の考えではBusinessSocial Serviceであるから、社会の用務を勤めることがまずもってその目的でなくてはならない」と申しております。フォード氏が果たしてその言のごとく少しも誤りなかったかどうかは知りませんが、右の思想は確かに今日新時代の実業家の指導的原則として認めなければならぬと思います。

名誉のため、または社会的職分として商売するのは、見当違いのようでありますが、実際、日本における会社制度発達の一面にはそのような事実があり、また将来においても、健全なる経済社会の発達を可能ならしめるためには、かくのごとき着眼は必ず一つの欠くべからざる条件になるということを私は信じます。これは青淵先生のつねに唱えられた道徳経済一致の説〔渋沢栄一『論語と算盤』角川ソフィア文庫、2008年〕に合するのであります。

 

(「如水会報」第97号、193112月。上田貞次郎『白雲去来』所収)

 

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