邱永漢『濁水渓』について

 

 

「生きるんだ。生きるんだ。民族も国家もない世界に生きるんだ。さあ、行こう。人間らしく生きることのできる世界へ行って暮らそう」「いや。俺はのこる。俺はここにのこるんだ」――主人公である〈私〉と、その分身のような友人・劉徳明のこの対話に、「濁水渓」という小説のメッセージは凝縮されている。

二人は植民地台湾に生まれ、第二次大戦中の東京帝国大学で学び、戦後、国民党治下の台湾に帰った。このような経歴は、複数のナショナリズムの間にあって、どちらにも同化できないアイデンティティを育てることになる。〈私〉も劉徳明も、内地人との差別に耐えながら成長したが、劉徳明は内地人を母にもつがゆえに、なおさら自らを台湾人として形成しようとした。

物語=歴史は私たちのキャンパスから広がっている。「中国人の場合も、中国を愛することがまず第一だ。そして自分の国を愛すると同じ気持で日本の国をも愛することができるはずだ」とまじめに説く経済学部の徳村教授――その教授と〈私〉が最初に出会ったのは、山上会館(当時は「山上御殿」)で行なわれた講演会の後だった。しかし、教授が「和平建国」の正しさを強調すればするほど、〈私〉は「抗戦建国」へと傾いてゆく。やがて、台湾人・朝鮮人学徒の志願兵制度が実施され、配属将校に志願の意志を問われて困惑する〈私〉――〈私〉は配属将校室を出て、安田講堂の前にたたずんで風に震える銀杏の葉をながめるのだった。〈私〉は徴兵をのがれ、抗日戦争に加わるために中国へ渡ろうとするが果たせない。「私は、私の青春が空しい敗北また敗北の連続のような気がした」。

できる限りの抵抗を試みながらも果たせなかった〈私〉は、戦争が終わって自由の身になっても、心から喜ぶことができない。そして「生まれてはじめて祖国と呼ぶことのできる国」に帰った〈私〉や劉徳明を待っていたのは、国民党の横暴と、凄惨な二・二八事件だった。〈私〉は気づく。「民族を捨て国境をなくすことこそ本当の叛逆でなければならぬのに、台湾人として虐待されて育った彼は逆に民族に固執することになってしまったのだ」「彼の祖国はいま彼の故郷を蹂躪しつつある国民党の国ではなくて、国境のない国ではなかったのか」。しかし「血とは要するに、血が流れているという意識じゃないか」と語る劉徳明は、むしろ意識的に一つのナショナリズムに自己を同一化しようとする。

冒頭の対話のように、〈私〉がナショナリズムそのものからの離脱を呼びかけるのに対して、その分身である友人は、あくまでナショナリズムに固執する。物語は〈私〉が香港にむけて密出国を企てるところで終わるが、〈私〉は祖国を去って、ほんとうに「永遠に地球をさまようユダヤ人」になることができたのだろうか。

 

(1998年4月6日。初出「ほん」誌。邱永漢『香港・濁水渓』中公文庫)

 

 

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