上田良二「灯台を建てるエリートを育てよう」



はじめに

最近の理科教育や技術開発を見ると、人を育てる発想が間違っているように思えてならない。わが国には知的労働者と呼ぶべき人材は豊富だが、それらをさらにハイレベルに導くエリートが乏しい。そこで、そのエリートを育てるための私の意見を述べてみたい。


小学校時代の思い出

私は私立の成蹊学園で小学一年から高校卒業までの13年間をのんびりと過ごした。なかでも、小学校の理科はとても面白かった。あるとき先生が太いガラス管とゴム栓で真空ポンプを作り、ぬるま湯を沸騰させたり、しぼんだ風船を膨らませたりして見せて下さった。先生はこの実験で毎日のようにポンプを改良されたので、次々に出る新しい結果を私は目を皿のようにしてを見守った。

他にも思い出は多いが、学園の創立者・中村春二先生〔1877〜1924〕から「ひとを引きずる人になれ、ひとに引きずられる人になってはいけない」と直接教えられたことは頭に強烈に焼きついている。これは大将や大臣になって人の上に立てという意味ではない。日本人は自主性がなく、周囲の人の顔色を見てから行動を起こしがちだから、そうならないように小学校のときからしつけられたのだ。

また先生は、「職業に貴賎の別はない。汚い仕事を卑しんではいけない」と強く諭された。口だけでなく、校舎の掃除、校庭の草取りはもちろんのこと、汲み取り式便所の汚物の処理まで生徒にやるよう指導された。

先生は公衆道徳について、とりわけ厳しくしつけられたから、成蹊の子は電車の中で行儀がよいと評判だった。最近は、小学生の一団が電車に乗り込んでくると、大声でわめき、席を取りあい、他の乗客は眼中にないかのようだ。この無法な子供天国は、民主教育の成果なのだろうか。

中村先生は趣味を人格の重要な要素と考え、情操教育にも力を注がれた。成蹊小学校には夏休みがなく、その代わりに箱根千石原でのテント生活があった。ある年、そこに牧野富太郎先生が来られ、私は先生の後について植物採集をした。

「こまつなぎ」は赤い花の豆科植物。馬を繋いても切れないほど茎が丈夫である。「おかとらのお」は虎の尾のように咲く白い花。丘の上に多い。「ともえそう」等々。その楽しさは今でも私の記憶の中に生きており、植物が趣味となって85歳の今日まで続いている。


「理科離れ」と「超一流」

最近伝えられるところによると、一方では「理科離れ」の対策に苦しみつつ、他方では「超一流」の科学・技術者育成の必要性が論じられている。そして、それらの問題をカリキュラムの改善で解決しようとしている。しかし、現在の教育体制の下では、いかにカリキュラムをいじっても問題の解決はできないだろう。

暗記主体の受験教育では、点取りに興味を持たない限りどの学科も面白くないだろうが、とくに理科は面白くない。それが「理科離れ」の主な原因と思われる。理科を面白くするには実験を主体とし、観察から結論を導くことの面白さを実感させなくてはいけない。

ノーベル賞を受賞するような人は、生まれつき優れた素質に恵まれ、また良い環境で育っている。日本人にも同様な素質を持った人がいるはずだが、彼らが伸びないのは、教育環境が悪いせいで、カリキュラムのせいとは思えない。環境さえよければ彼らは自分で勉強するから、カリキュラムに多少の欠陥があっても問題ではあるまい。


エリートと「エリート」

エリートとは神様に選ばれ、神様から優れた素質を授けられて、人民の指導者として奉仕する使命を負わされた人である。私はこれをエリートの定義と考えている。

喩えて言えば、エリートとは灯台を建てる人である。その光に導かれて商人が貿易をし、漁師が魚をとる。これまでの日本は、先進国が灯台を建てると、素早く船団を組織して一挙に金儲けをしてきた観がある。その日本がいま「超一流」エリートの育成を志すのは、ノーベル賞をたくさん取るためではなく、繁栄するためである。これまでとは違って、自ら灯台を建て、近隣諸国を潤し、ゆとりのある物心両面の繁栄をめざすのである。

エリートという言葉を使うと、「非民主的・差別」であるとか、「天は人の上に人を作らず」を知らないかと言われるが、私の意見は違う。人間の作った士農工商で人を差別するのはよくないが、天が作った千差万別な人間の素質を区別するのは当然であって、「非民主的・差別」ではない。

戦後の日本では私の知らぬまに、良い大学を出て高い地位につき、大衆に思いやりのない横柄な奴が「エリート」と呼ばれるようになっていた。私がエリートと呼ぶのは前述の定義によるエリートであって、現に流通している「エリート」ではない。


教育の現状

生徒の素質は千差万別だが、特に優れた少数は、良い先生が激励すれは自分で勉強し、間もなく先生を越えてゆくだろう。次に、中堅とも呼ぶべき多数は、教育が良ければ、満点を取るよりも、社会に出てから役に立つ知識を身につけるだろう。最後に、いわゆる落ちこぼれの子供がいる。彼らとて、カリキュラムにとらわれなければ落ちこぼれることはない。

さて、戦前の先生は出来のよい子を級長に任命して、将来の指導的人物に育てることを楽しみとしていた。ところが戦後は、そのような教育は非民主的だということになり、カリキュラムにしたがって平均的人材を効率的に育成することがよしとされた。言わば、素質を無視した人材の大量生産方式である。

上位は頭をおさえて中堅まで引き下げ、落ちこぼれを無理に引き上げようとした。そのようにして卒業生の質を平均化することが、「民主教育」の目標だったようである。

日本の工業が輸入技術で栄えた時代には、この方式で一応の成功をおさめた。おかげで日本は豊かになった。しかし、この教育体制では灯台を建てるような人材が生まれないことは明白である。また、素質無視の教育の歪みが蓄積して「理科離れ」を引き起こしたと見ることもできる。これらの困難を救うには、平均化を目標とする教育をやめるほかない。

理科に限らず教育全般を活性化するために、次節で述べるエリート教育を提案する。私の提案は、知能の優れた者だけをエリートに育ててそれ以下を顧みない、というのとは全く異なっている。


エリート教育

生徒の興味を刺激するには、先生自身が学問研究に興味を持っていなければならない。簡単に興味と言うが、ただ本や雑誌を読んでその面白さを受け売りするような興味では駄目である。私の望む良い先生とは、自分で実験を手がけ、理論を咀嚼し、苦労したうえで学問の楽しさを発見したことのある先生である。そのような先生が得意の分野を教えると、素質のある生徒は、たとえ受験問題を解くのは下手でも、先生の興味に共鳴して興味を持つようになるものである。私は自分の経験からそう信じているのだ。とくに実験を含む理科ではその傾向が強いように感じられる。

先生は素質のある生徒を見つけたら、ほめて激励する。これは非民主的なえこひいきではない。先生はほめて激励すると同時に、彼らにエリートとしての自覚を促さなければならない。くりかえして言うと、彼らの持っている優れた素質は、自分で獲得したものではなく、神様から授かったものである。彼らは天の恩に報いるために、大衆に奉仕する義務を負っている。自分の才覚で私欲を肥やすなどは天の恩に反している。

エリート生は当然のこととしてクラスの中の弱い者たちを助ける。彼らの知能が多少劣っていても、互いに友人として人格を尊重する。先生は彼らに無理強いをしないから、「落ちこぼれ」はできない。彼らは快適な学校生活を楽しみ、良い友人を得て社会に出ることができる。

私が子供のころには、良家では家系の誇りを守るためにエリート教育が行なわれた。これは美風でもあったが、子供に才能がないときは弊害をともなった。戦後はこのような風習が影をひそめ、テスト一点張りのママさん教育になってしまった。

日本には諸外国にあるような宗教を通しての道徳教育がないから、さしあたり学校がそれを先導しなくてはなるまい。私は、小学校の一年生からエリート教育をすることを提案する。卑近な例だが、エリート少年たちが先に立って老人に席を譲れば、その他の大勢はそれを見習って席を譲り、老人優先席は間もなく廃止となるだろう。あれは日本社会の恥部を臆面もなく展示しているような制度である。

さて、エリートの自覚ができたら、特に優秀な者には賞を与えることもよく、飛び級をさせることも望ましい。彼らはクラスの敬愛を集めているから、そのようにしても差別と非難されることはない。

彼らの中から灯台を建てる人も育つだろう。それを促進するために、特別カリキュラムによる特訓をすることも有意義と思う。最近、これに似た計画があることを耳にするが、私の提案はエリートとしての道徳的自覚を最優先の条件とするものであり、知育一辺倒の教育とは全く異なっている。


おわりに

以上、私の理想をなかば放言的に述べてきたが、その実現が果たして可能だろうか。中村春二先生のような校長先生が現われたら、あるいは可能かとも思うが、現在の日本の教育制度ではそう簡単にはいかない。

学校の教育は、文部省の学習指導要領にしたがって行なうことになっている。これが平均的人材の育成に役立ったことは認めるが、これからのエリート教育には向かない。

指導要領には生徒の「個性を生かす教育の充実に努めなければならない」と書いてあるが、指導する先生の個性は指導要領で束縛されている。これでは、「個性を生かす教育」が実現するはずがない。真に一人ひとりの個性を生かすエリート教育を進めるためには、この束縛を解き、先生が自分でカリキュラムをつくる(または選ぶ)権利をもたなければならない。また、先生はその権利を有効に使う能力を身につけていなければならない。これは容易なことではないが、先生にその意欲がなければ日本の教育に活性化の見込みはない。さしあたって、文部省や父兄が本当に「良い先生」を受験指導の先生より高く評価し、「良い先生」の数を増やすことを手はじめにすべきではないかと考えている。

困難なことばかりだが、教育界がエリート教育の意義を認めれば、20年か30年の後には成果が表われてくると確信している。

(「交流」第44号、1997年)


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