上田良二「メディアの発明報道」



名古屋市にあるファインセラミックスセンターの楠美智子主任研究員〔現・名古屋大学教授〕が、高温で安定なガンマアルミナの作成に成功した。ガンマアルミナは自動車の排ガス浄化の触媒担体に使われる材料だが、既存の材料は高温で不安定なため、効率が悪く寿命も短い。楠博士の発明はこの欠陥を除くものである。私見ではなお実験室的であり、工業生産の達成にはさらに高い峠を越さなければならない。

それにもかかわらず、この成果は新聞に大きく報道された。見出しには「排ガス対策大きく前進」「排ガス装置の長寿命化にメド」などとある。製法や温度特性が説明され、トヨタ自動車や住友電気工業など数社から問い合わせが来ていることは報じられた。

ここで論じたいのは、この種の発明報道のあり方である。新聞記事にはセンターの理事長や所長の名前はあるが、私の知るかぎり発明者の名前を出したものはなかった。こうした報道の仕方は今回に限らず散見され、管理者優位の日本では半ば慣習化し、だれも不思議に思わないようだ。

大きく報道されたのは、懸案の問題に突破口を開く独創的なものだからだ。日本社会が個人の創造性を尊重するなら、報道で一番大切なのは発明者の名前である。それを欠いて誰も不思議に思わないのは、開発側にも、マスコミにも、一般読者にも、創造性尊重の精神がないことを意味する。

楠博士自身は、学会発表でプライオリティを確保しているから新聞発表は問題でないと言うかもしれない。しかし多くの発明者、特に若い人の場合は、新聞に名前が出て、業績が研究者仲間だけでなく広く一般に知られることは、非常に嬉しいことではないだろうか。見方によっては、それは一つの賞とも言える。

日本ではいま、国をあげて創造的人材の育成に力を入れている。文部省はカリキュラムを改訂し、飛び級制度を検討し、他の省庁は膨大な予算を投入して独創的研究の振興を図っている。しかし、いかに努力を払っても、社会に創造性尊重の精神がなければ、例外はあるにしても全般的な成功は望むべくもない。それには社会全体の理解と協力が必要だ。「発明者の名前を掲げよ」というのは、創造性尊重の風土を作る糸口の一つである。

(「日経産業新聞」1997年2月28日)


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