上田良二「それは自主開発ではない」



日本では、ある製品を日本人が国内で開発すると「自主開発」と言う。しばらく前、静止衛星「きく6号」が失敗したとき、朝日新聞の社説(1994年9月2日)は、「技術陣は自主開発の苦労をいやというほどなめさせられた」と論じた。

私は、このように気軽に「自主開発」という言葉を使うことに抵抗を感じる。静止衛星は、日本人が自主的に開発したのではない。欧米での開発を見て真似たのだから模倣開発だが、せめて追従開発と呼ぶべきではなかろうか。

技術にはさまざまなノウハウがあるから、コロンブスの卵とは違う。原子力や宇宙開発となると、追従開発といっても大変に難しい。「きく6号」の技術者は自分の頭で考え、自分の腕を磨いたに違いない。それでも、彼らが「いやというほどなめさせられた」のは、追従開発の苦労であって「自主開発の苦労」ではない。

宇宙開発は専門外だが、私の専門の電子額微鏡にも似た話がある。電子顕微鏡は50年あまり前にドイツで開発された。日本はそれを輸入しようとしたが、戦争が激しくて潜水艦でも輸送不可能となった。そこで、日本の電子顕微鏡の父と称される瀬藤象二先生〔1891〜1977〕が、「ドイツ人がやったのなら、日本人だってできないはずはない」と言われて開発を始めた。

当時の日本では工作機械や真空ポンプさえ満足にはできなかったのだから、はるかに高級な電子顕微鏡への挑戦は今日の宇宙開発以上に難しかった。だから、その開発に成功した人たちが喜んだ気持ちはわかる。それでも彼らがしたのは、酷な言い方だが、自主開発ではなく追従開発だったのだ。

技術は、誰かがどこかで成功したと聞くだけで易しくなるのである。さきにも述べたように、追従開発でも大変に難しいが、自主開発はもっと難しいのだ。両者の困難には質的な違いがあり、その程度を量的には比較できない。

ところが日本では、自主でも追従でも、物ができて売れさえすれば同じに評価される。日本人は自主開発の困難さを知らないから、それを達成した外国人を尊敬する気持ちがない。日本では、追従開発をした人が「自主開発した」と言っても、誰も厚かましいとは思わない。

日本は明治以来の120年で追従開発の困難を克服し、先端技術では先進国の仲間に入った。しかし、それは末梢のみである。小枝から大枝、幹へと下がるにしたがって借り物が多くなり、日本には技術の根がない。

このような議論は言葉じりだけの空論ではない。日本の社会には、自主性や創造性を軽視する思想が空気のように満ちている。それが日本語に表われるのだ。言論人はこの実態を謙虚に認識し、身分相応の言葉遣いをしていただきたい。それが日本の技術に根を生やすための出発点である。

(原題「自主開発の難しさ」。「日経産業新聞」1994年12月13日)


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