上田良二「年会と分科会」



来年(1964年)の年会は名古屋と決まり、先日その準備の会が開かれた。私は年会と分科会とは別の性格を持たせることが望ましいと思っていたので、それについての討論をしていただいた。この種の議論は、10年ばかり前にはよく聞かれたような気がするが、最近は影をひそめてしまった。そこで、この欄を拝借して私の意見を述べさせていただく。

いま行なわれている物理学会の年会は、いわば分科会の並列で、少数の総合講演を除けば年会の特徴はない。並列の数が多いので、プログラム編成の困難はもちろんのこと、多数の会場が散らばるため聴講者の不便も少なくない。この傾向は今後ますます大きくなり、しまいには分科会だけということにもなりかねない。

年会のときはせっかく広い分野の人々が集まるのだから、分科会では聞けないような講演を聞き、分科会では会えないような人と話し合いたいと思う。しかし、現状ではそうはいかない。自分の専門分野の講演だけでほとんど1週間ぎっしりとつまっている。特に珍しい発見は稀にしかないから、大部分は実質3ヶ月の研究成果である。前回の報告を理解していれば今回もわかるが、何度聞いてもわからないのもある。専門の近傍の分野の会場に行ってみると、似かよった報告が多いのに驚く。また、いきなり記号で話しだされるので理解できないものが多い。専門から遠い分野など行く暇はない。講演の内容と発表方法の向上は年会に限らずつねに望まれることだが、日本の現状を考えれば分科会のほうは今のやり方で我慢できる。しかし、年会で同じことをくり返すのは不満である。

私は次のような年会なら理想的だと思う。

会期を5日間とすると、その1日は専門分野の会場に出る。2日間は専門の近傍の話を聞く。この辺は総合講演でもよいが、やはり研究者直接の生の話を聞きたい。残る2日のうち1日は総合講演で専門から遠い分野の話も聞き、他の1日は適当な仲間と観光をしながら討論を楽しむ。プログラムはあまりつめこまないで、昼休みは2時間にしてほしい。

これを実現するには講演数を現在の8分の1、講演の延べ時間を4分の1程度に絞らなければならない。これは表面的には不可能にも見えるが、本当に内容の充実した講演はその程度しかないとも言える。Journalその他の論文数はそれほど多くはないから、年会は完成した研究と重要な発見とに限れば、上の数字に近くなるのではなかろうか。

私が大学を出たころ(1936年)の数物年会はじつに寥々たるもので、数学、物理、天文、地球物理の全部をあわせて5会場2日間くらいだった。講演数が少ないので、年会の講演募集には「完成未完成を問わず、ふるってお申込下さい」という決まり文句ができていた。その成果が今日になって表われたのは皮肉である。研究者が2桁近くも増え、研究活動が盛んになった今日では、もはや未完成なものまで年会で報告してもらう必要はない。それがますます盛んになる原因の一つは、旅費の獲得という現実的な問題があるためかもしれない。また他にもいろいろの事情があろうから、私の理想の実現は簡単ではない。

私も昔は強気だったから、論文の数をしぼることくらいは年会のプログラム委員会に任せればできると思っていた。しかし、今ではそんな勇気はない。ただ、現在のままで進んで行っては困るので、会員諸氏にこの問題を考えていただきたい。また、最近は種々の研究会で専門的な討論をする機会も増えているから、年会では完成した研究と特に重要な発見を、広い立場から話すことにしてはいかがだろうか。私の考えに賛成して下さる方だけでも、これを実行していただきたいものである。ムードを作るだけで問題が解決するとは思わないが、その糸口にでもなれば幸いである。

(「日本物理学会誌」第19巻第3号、1964年)


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