上田良二「電子線ホログラフィーができるまで」



電子線ホログラフィーは、電子線バイプリズムを内蔵する超高級型の電子顕微鏡によって実現される。日立製作所基礎研究所の外村彰さん〔1942〜2012〕はそれを開発して、ミクロの磁界観察を初めて可能にした。ハイテク産業に貢献しつつ、アハラノフ‐ボーム効果という量子力学の基礎問題をも解決したのである。

彼が英国伝統の金曜講話に招かれて行なった講演が、日本でも再現された。まず、量子力学の難しい原理を水盤の波やひもの振動で模型的に解説。次いでミクロの磁界のさまざまな様相を投影で示し、高温超伝導体中の磁力線の運動をビデオで見せてクライマックスへと盛り上げ、専門家をうならせた。英国流に磨かれた見事な表現で、専門家でない人や高校生にも研究の意義を理解させた。

新聞には外村さんが「電子線ホログラフィーの技術を10年がかりで開発した」と紹介されたが、さらに付け加えたいことがある。

その昔、日立製作所中央研究所の只野文哉さん〔1907〜2005〕と話しあったとき、私が「日本にも電子顕微鏡専門の研究所が欲しいですね」と言うと、「それができたら私が模倣部長になって、上田さんに独創部長を頼みます」と応じられ、すかさず「予算は私が85%で、あなたは15%ですよ」と付け加えられた。

これは半ば冗談だが、只野さんは発展途上国の技術開発は模倣から始まることをよく心得ておられた。模倣といってもなま易しいものではない。戦中戦後の苦境の中で、血のにじむような努力の末、同研究所に電子顕微鏡技術の基礎を確立された。

その土台の上に只野学校出身の渡辺宏さん〔1927〜2007〕が電子物理の研究を展開し、金属内のプラズマ振動を実験的に証明した。その渡辺さんが若い外村所員に電子線ホログラフィーの研究を示唆したと聞いている。さらに渡辺さんが日立製作所副社長の時代に創設を推進した基礎研究所で、いま外村さんが世界に誇る業績をあげている。

外村さんの粘り強い10年の努力の背景には、模倣から自主に転換した50年がある。それを見て私は、外村さんの開発を自主開発と呼んでも天下にはばからないと思っている。

それでもホログラフィーの原理はガボール(1949年)によっており、電子線バイプリズムはメレンシュテット(1955年)の発明である。外村さんが10年を費やして改良した電子銃も、その原型はクルー(1966年)に負っている。

したがって、自主開発と言っても、足元を見るとまだ日本には根が生えていない。「日本の科学や技術が根を生やすには、なお60年の努力が必要」というのが私の持論である。

(原題「電子線ホログラフィー」。「日経産業新聞」、1995年1月26日)


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