上田良二「応用物理の本質を見直そう」



さきに高橋秀俊氏が、同じ表題で感銘深い巻頭言を書かれた。氏は、日本では応用というと純粋に従属するもの、一段下のものと思われていると述べた後、有名な数学者フォン・ノイマンの言葉、「応用から切り離されて同族交配を続けた数学は退化の危機に頻する」を引用し、応用は学問を沈潜から救う不可欠の要素であると強調された。さらに、すべての科学の大本とも言える物理学は本源的に応用的な学問である、とさえ言い切っておられる。私もここに一例を示して所感を述べたい。

ブラウン〔Karl Ferdinand Braun, 1850〜1918〕という人は、J・J・トムソン〔Joseph John Thomson, 1856〜1940〕の電子確認(1897年)より先に陰極線オシログラフ(ブラウン管)を作り、ライデン瓶の放電にともなう電気振動を観察した。その後、ウィーへルト〔Emil Johann Wiechert, 1861〜1928〕は集束コイルによって輝点を鋭くし(1899年)、ウェーネルト〔Arthur Rudolph Berthold Wehnelt, 1871〜1944〕はウェーネルト円筒で熱電子を集束した(1904年)。そして電子幾何光学が確立され(1925年頃)、電子顕微鏡の開発へと進展した(1930年頃)。

応用物理とは物理の学理を応用して技術開発をする学問だと思っている方々に、上の一連の発展経過をよくよく噛みしめていただきたい。ブラウンは、陰極線の本性を知らなくとも、その特性を生かしてブラウン管を作ったのだ。ウィーへルトとウェーネルトは電子幾何光学の理論を学んでから開発に取りかかったのではない。逆に、彼らの発明が元になって理論が生まれたのだ。彼らは理論のないところに踏み込んでいく勇気と、その中で技術を前進させる知恵――おそらく経験による――とを持っていた。ドイツ人はこの精神を引き継いで電子顕微鏡の開発にも成功した。

ひるがえって日本の現状を見ると、学理や文献に頼らなくては研究も開発もできない。もちろん学理や文献も大切ではあるが、それだけで学問や技術が進歩するものではない。研究や工業の現場から着想を得て、学理の枠を越えて前進する。その勇気と知恵が今こそ必要なのだ。最近は多数の大学に応用物理学科が設けられ、量だけは増大した。しかし何となく生気がないのは、学理依存一点張りの教育に大きな責任がある。

現在、日本の科学者と技術者に欠けているのは、学理の枠を越えて踏み出す前衛的精神ではなかろうか。とりわけ応用物理ではその感が深い。この精神を忘れていかに努力しても、格調の高い応用物理が生まれるはずがない。これは今も昔も変わらない事実だ。先に述べたドイツ人の一例は、以って範とするに足るものである。

(「応用物理」第46巻第5号、1977年)


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