上田良二「研究の大衆化と前衛的科学者」



学会の休み時間に若手で活発なA君をつかまえて、私の新考案の話をしてみた。彼なら私の考えに共鳴して、その実験を試みてくれるかと内心期待していたのだ。ところが彼の返事は、「それはできない!」だった。理由を聞いてみると、日本の真空技術の水準では私の提案は無理だというのだ。

そこで私は説教をした。デビソン〔Clinton Joseph Davisson, 1881〜1958〕とガーマー〔Lester Halbert Germer, 1896〜1971〕は1927年に低速電子回折(今日のLEED)の実験をして、電子の波動性を証明した。当今の人たちは超高真空技術の出現によって初めてLEEDが可能になったと思っているが、そうではない。デビソンとガーマーの時代には、10-6Torr以下の圧力は測定する術さえなかった。それでも彼らは実験をすすめ、成功したのだ。超高真空の技術がLEEDの大衆化に役立ったのは事実だが、前衛的研究者の彼らにはそれは不必要だったのだ、と。

私のちっぽけな提案に、ノーベル賞受賞の大研究を引き合いに出したのはまずかった。A君は「私のような実力では」と謙遜して、どこかへ行ってしまった。若手で活発なA君でさえも、大衆的研究の枠を外れると手を出さないだけでなく、それを考えてさえくれないのが残念だった。

最近の若手は知能指数は高いが、研究者としての前衛的な姿勢を知らない。大家の開いた公式に乗ることなら難しいことでも見事にこなすが、賭けの危険を感じるようなことには手を出さない。高級な歯車としては立派だが、ぜんまいがなっていない。私は、すべての日本人がはじめから骨なし、ぜんまいなしの人間だとは思えない。それなのに一般的傾向として若手がだらしなくなってしまっているのは、歯車偏重の教育体制のためだと思わざるをえない。

そんなことを考えていたときに、寺田寅彦先生〔1878〜1935〕の随筆を思い出した。本多光太郎先生〔1870〜1954〕はよく無理なことを言う人だった。例えば、感度10-5Aの検流計しかないのに、10-6Aの測定を命じられた。頭の良い人はそれは不可能と諦めて何もしなかったが、頭の悪い人が訳のわからぬ工夫をしていると、いつの間にやらその測定ができてしまった。やる気さえあれば、なまじっか頭が良くないほうが立派な研究ができる、という話だった。

本多先生に限らず昔の先生は、多かれ少なかれ、無理に挑戦する研究態度を教えられたものだ。ところが、今日の先生方は何もかも合理主義で、それが近代的研究の特徴だとさえ思っている。私に言わせれば、それは大衆的研究の特徴に過ぎないのだ。そんな姿勢では前衛的研究ができるはずがない。私は大衆的研究が無用だとか、劣ったものだとか言っているのではない。大衆なしの前衛では意味がないからだ。しかし、大衆的研究しかできない人が、いかにも最前線にいるような顔をしているのはいかがなものだろうか。

国際会議の発表でちょっとばかり好評を博すと、すぐに一流になったような顔をする。ほめられ方にもいろいろあろうが、一流にほめられて喜ぶ人は二流以下である。ほんとうの一流で、誰からもほめられない人もいるのだ。もっと自主的に価値判断をする精神を持たねばならない。

日本人の外国依存は、明治以後に限ったことではないようだ。聖徳太子よりもっと前の邪馬台国の時代からだろう。外国人の真似をして、上手に漢文を書くことが一流男子の仕事だった時代が長く続いた。明治になって中国が欧米に置き換えられても、外国への追従の伝統は根強く残っている。見方によっては、今日ますますひどくなっているとも言える。

日本が東海の孤島だった時代には追従が幸福を生み出したが、世界が狭くなった今日では事情が違ってきている。日本人の勤勉さでできそうな仕事を片っ端から片づけて、すべてを始めから自分がやったような顔をしたら、研究アニマルと排斥されても仕方があるまい。日本人も、外国人に道を開くような前衛的研究を心がけるべきである。そのためには、たとえ結果が失敗に終わろうとも、前衛的なものを尊重する精神を持たなくてはいけない。研究の大小は能力の問題だが、前衛的か大衆的かは姿勢の問題である。

現在の日本の教育は姿勢が狂っているから、知能労働が盛んになるのみで前衛的な研究が発展しないのだ。最前線の研究者をもって自ら任じている実力者は、この点を反省して正しい姿勢を見いだしてほしいものである。

(「金属物理セミナー」第2号、1976年)


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