上田良二「レントゲンの独創性」



レントゲン〔Wilhelm Conrad Röntgen, 1845~1923〕は、真空放電の実験中に黒紙で包んだ写真乾板の感光に気づき、それをきっかけにしてX線を発見した。来年〔1995年〕はその百周年にあたる。この発見は古典物理学から近代物理学(原子物理学)への扉を聞き、また医学の分野でも新しい扉を聞いた。しかし、それに対する日本人の評価は意外に低い。「偶然の幸運であって、独創ではない」と言う知識人もいる。

X線のように当時の理論の圏外にあった現象は、神様のお導きがなくては発見できない。それを単なる幸運と片づけてよいだろうか。

幸運には誰もがめぐりあえるものではない。他人の追従を許さない研究技術を身につけ、それを武器として未踏の分野に挑戦できる者に限られる。次に、まさかと思われる現象を目のあたりにしたとき、それを真実と認めうるのは自然に対してよほど謙虚な人である。さらに、それを科学的に確認するには柔軟な思考力と的確な実験技術を持たなければならない。レントゲンはそのすべてを具えた真の独創的研究者ではないか。

私のした貧弱な発見でも、すべてが幸運に恵まれていた。そして一生に一度の大運は、ばかばかしい先入観のために逃してしまった。50年の研究生活を省みると、レントゲンの偉大さが身にしみてわかる気がする。

最近、元東大総長で原子物理学者の有馬朗人氏〔1930~〕が、日本に独創的研究が少ないのは基礎科学への研究費が不足しているためと指摘された(朝日新聞、1994年11月6日)。私も同感である。氏のような実力者には、強力な研究費倍増運動を進めていただきたい。しかし、有馬氏もお金だけで日本人の独創的研究を振興できるとお考えではなかろう。

独創的研究が少ない理由はいろいろあろうが、私は日本に独創的研究の神様がいないためと信じている。日本の学問の神様は菅原道真だが、天神様は入試の神様であって独創的研究の神様ではない。このような社会の底に流れる思想が変革されない限り、日本に独創的研究は根づくまい。

日本の実情を見ると、研究費の審査をする人たちは、世界中の新知識に照らして最も理にかなった研究計画を採用し、計画書どおりの成果をあげた者を最優秀と評価している。私の経験でも、幸運による発見は軽視され、計画書どおりの成果をあげた模倣に近い研究がより高く評価された。それは日本の後進性のゆえで、やむを得ない。しかし、いつまでもその調子では、レントゲンのような人知を超えた発見は期待できない。

そこで、今後は計画書にない成果を期待できる計画を最優先に採用するよう提案したい。その方針を宣言すれば、新進研究者の野心が刺激され、後進的マンネリズムから抜け出す糸口が開けると思うが、いかがだろうか。

念のために付け加えると、大運は一生にせいぜい一回しかめぐってこない。したがって、50人の独創的研究者がいても、独創的成果は一年に一件の確率でしか出ない。

(原題「独創的研究とは」。「日経産業新聞」1994年11月29日)


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