上田良二「発見の幸運をつかむには」



独創的な研究は、斬新な計画で創出するよりも、運をつかんで成就するものである。レントゲンによるX線の発見、オンネスによる超伝導の発見、デビソンとガーマーによる電子波の発見などは、いずれもその類である。10数年前にそのようなことを本誌で論じ(「運のよい人は偉い人」)、もし運をつかんでいたら私が転位像の発見者になっていたと書いた。オポチュニティの神が私の面前に立っていたのに、私はその前髪をつかまなかったのである。

他にも大運に恵まれ、私はそれを逃した。戦前(1930年代後半)に、真空中で蒸着しながら電子線の回折図形を撮影する装置を設計し、いろいろな温度の単結晶面上に一定の速度で銀を蒸着して、平均膜厚が1ナノメートル以下から100ナノメートルの間で回折図形を撮影した。世界で最初にエピタキシャル成長の「その場観察」をしたものだ。もしこの実験を続けていれば、私は疑いもなくモレキュラー・エピタキシーの発案者になっていた。

私はほぼ15年ごとにめぐってきた小運はつかんだが、一生に一度か二度の大運を逃してしまった。一生研究を続けても良運にめぐりあわない人もいるのに、全く惜しいことをしたものである。運をつかむには、平生からの努力に加えて、広い識見と大らかな気持ちが必要のようである。

そこで、野心的な研究者、特に実験家に言いたい。まず、他人の持たない実験技術を身につけ、新しい分野を開拓するのがよい。舗装道路を何回走っても運はつかないが、荒野に踏み込めば思わぬ宝物に出会う可能性がある。研究は計画通りには進まないが、努力を続ければ一応は独自の成果が得られる。しかし、それで満足してはいけない。一生に一度の大運がめぐってきた時に、それを逃さずにつかむのだ!

次に、ボス教授を含む研究の管理者に言いたい。私の知る限り、彼らは研究計画が専門的に妥当なら研究費を与え、計画通りに結果を出せば優秀と評価する。そのようなやり方では、追従的な研究者は育つが、独創的な研究者は育たない。独創的な研究者を育てたいなら、計画の実現性が危ぶまれても、自主性のある研究者を優先すべきである。いかに優れた管理者でも運のつきまでは見通せないが、追従的な研究者には運のつく見込みがない。現状では自主的な研究に目を向ける管埋者が少ないから、独創的研究の振興が叫ばれても、それはお題目でしかない。

(原題は「独創的研究と運」。「半導体研究所報告」第30号、1994年)


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