上田良二「めだかの恋心――まえがきに代えて」



めだかは魚類に属するから、もちろん体外授精である。しかし、放卵の前には雄が雌に寄り添い、ひれや尾を細かく動かして、抱擁せんばかりの愛情を示す。「嬉しそうでしょ」と指さし、「接触の刺激で放卵するのです」と教えて下さったのは、めだか先生こと山本時男博士〔1906〜1977〕だった。先生は名古屋大学の教授で、めだかの研究により学士院賞を受賞した方である〔1976年、「魚類の性分化の遺伝学的・発生生理学的研究」による〕。

先生の数多い業績の中で、一番素人わかりのするのが性の転換、つまり雄を雌に変えたり、雌を雄に変えたりすることだった。雄を雌にするのは割に易しかったが、雌を雄にするのはとても難しかったそうだ。この話を聞いて、物理屋の私は、原子でいえば雌が基底状態、雄が励起状態みたいだと思った。だから、男性は外に出て働く活動力に富み、女性は家を守る安定度に勝ると、勝手な庇理屈をこねた。

先生の御自慢の作品に、「男の中の男一匹」という雄めだかがあった。一見、何の変哲もないめだかだが、これをかけると相手の雌の如何にかかわらず、生まれる子供は全部が雄なのだそうだ。先生は「人間にも似たやつがいますよ」と高らかに笑われた。

私は先生に無心し、黒、黄、白のめだかをもらって飼った。教えられるままに黒を白にかけてメンデルの法則を試したり、その子の黒を白にかけて、自然にはいない青めだかを作ったりした。

太陽のまぶしい夏の朝、たくさんのめだかの泳ぎまわるのを見ていると、あちらこちらで求愛の行動が目を引く。

そこで私は、一つの檻で飼われたライオンと虎の話を思い出した。やむを得なければそれでも仔を生むが、自由の許される自然の中ではそんなことは起こらない。人間でも、白人は白人どうし、黒人は黒人どうしというほうが普通である。植物の場合も、自然の雑種は案外少ないような気がする。果たしてめだかはどうだろうか。黄の雌が黒より黄の雄を好むだろうか。私はこの疑問を実験で解いてみようと思い立った。

まず、一つの鉢に黒と黄の雄を一匹ずつと、白の雌二匹とを入れた。本来なら黄の雌を入れるべきだが、黄と白とは同系と聞いていたので、黄の雌を白で置きかえたのだ。こうすれば、白が黒か黄のいずれを好むかを見ればよいことになる。

しかし、一日じゅう見張っているわけにはいかないから、仔魚を孵して、その中の黒の割合から計算で答えを出すことにした。幸いにも、実際は孵るまで待つ必要はなかった。毎日卵を見ているうちに、黒の出る卵は孵る前に黒くなることに気づいたからである。判定ずみの卵は用がなくなるから、時間も手間も大いに省けた。

いよいよ統計を取りだすと、一粒でも多くの卵がほしい。そこで毎日、めだかの健康に注意し、水をかえ、餌をやる。餌はめだか先生の調製になる「栄養食」だったが、それよりも糸みみずが良いと聞いて、なりふりかまわずにどぶをあさったこともある。先生が平生からめだかを「めだかさん」と呼び、愛情を傾けて育てておられる理由がよくわかった。このようにしてずいぶん丹精したが、やがて秋が来て、めだかは卵を生まなくなった。

やっと軌道に乗ったところで実験は終わりとなったが、それでも100個ばかりの有精卵を数えた。統計としては少ないが、とにかく計算してみたら、小差でめだかも似た者どうしが愛し合うという結果が出た。

その結果報告にめだか先生をお訪ねしたところ、大変な御機嫌で、「物理学者がめだかの心理学をやるとは偉い!」とほめて下さった。私は嬉しくなって、来年はもっと本格的にやろうと思ったが、それを試みぬ間に四半世紀の歳月が流れ、わが家のめだかは死に絶え、めだか先生もこの世を去られた。私は相変わらずこんな馬鹿げたことが好きだが、この実験をもう一度くりかえす執念はない。戦後の貧しい時代に、素晴らしい楽しみを教えて下さっためだか先生に感謝している。

(原題「めだかの恋心」。「文藝春秋」2月号、1980年)


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